ヌーヴェルヴァーグの巨匠アニエス・ヴァルダと写真家・アーティストのJR、年の差54歳の二人の旅が始まる!
世界中を笑顔にしたロードムービースタイルのドキュメンタリー映画『顔たち、ところどころ』をご紹介いたします!
映画『顔たち、ところどころ』の作品情報
【公開】
2018年(フランス映画)
【原題】
Visages Villages
【監督】
アニエス・ヴァルダ、JR
【キャスト】
アニエス・ヴァルダ、JR
【作品概要】
ヌーヴェルヴァーグの祖母とも呼ばれるフランスの名匠アニエス・ヴァルダとフランス人アーティストのJRがタッグを組んだロードムービースタイルのチャーミングなドキュメンタリー。
アニエス・ヴァルダとJRは、自動車でフランスの田舎を旅しながら、その村々に住む人々と接して作品を作り上げていく。
第70回カンヌ国際映画祭にて最優秀ドキュメンタリー賞ルイユ・ドール(金の眼賞)を授賞。同年のトロント国際映画祭では最高賞にあたるピープルズ・チョイス・アワード(観客賞)のドキュメンタリー部門を受賞。また、第90回米国アカデミー賞、 第43回セザール賞 にもノミネートされるなど、世界の映画祭で絶賛された。
映画『顔たち、ところどころ』のあらすじとネタバレ
映画監督アニエス・ヴァルダと、写真家でアーティストのJR。二人の年の差は54歳。二人はどのようにして出逢ったのでしょうか?
「まず、ダゲール街の彼女に会いにいった。次に彼女がうちへ」とJRは語ります。
二人は一緒に映画を作ることにしました。
JRの写真ブース付きトラックに乗り込み、フランスの田舎町を目指します。
炭鉱労働者の村として知られるオー=ド=フランス地方 ブリュエ=ラ=ビュイシェールにやってきた二人。
長い歴史を持った、労働者たちの住宅が取り壊される予定になっていました。アニエスとJRは、坑夫の写真を集めようと考えました。街の人々の思い出の写真が集まってきました。
その写真を拡大してプリントし、それらを住宅に貼り付けます。炭鉱住宅に今でも住む最後の住人の女性の家には彼女の顔を貼りました。
家から出てきた女性は、それを観て、驚き涙まで流すのでした。
「最後に出ていくと言っていたけれど、まだいるわ。家族の思い出がつまった家を出ていくなんてとてもできない」
イル=ド=フランス地方 シュランスでは800ヘクタールの広大な土地を一人で耕している男性と出会い、写真を撮って倉庫に貼りました。
プロヴァンス=アルプ=コートダジュール地方 レスカルの街では、バケットを食べる人の顔写真を一人、一人撮り、並べて壁に貼り付けました。大勢の人がそれはそれは長いバケットを食べている画が出来上がりました。
また、角のないヤギの群れをみたアニエスとJRは、農家になぜ角がないのか尋ねてみました。すぐに喧嘩を始めてしまうので怪我をさせないために小さい頃に角を焼いてしまうのだそうです。
しかしある農家のヤギたちには角がはえていました。養牧者の女性は角を持ってうまれてくるのだから、切ろうとは思わない、自然な形が一番だと信念を持っていました。
ここでは立派な角をもったヤギの写真が風景を飾りました。
アルケマの工場では、昼に働く従業員と夜に働く従業員の集合写真を撮って並べてみました。片方が右手に片方が左手に体を乗り出して手をむけていて、まるで互いにエールを送っているようです。
ノルマンディ地方のル・アーヴルではストライキ中の港湾労働者の奥さんに来てもらい、話を聞いて写真を撮りました。コンテナを高く積み上げると、彼女たちの全身像が現れ、その心臓の部分に座ってもらいました。
建設を途中で中断したまま放置された廃墟の街でピクニックをしたり、写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンのお墓を訪ねたり、JRの100歳になった御祖母さんを訪ねたり・・・。
JRが決してサングラスをはずそうとしないことで、時にはちょっとした喧嘩になることも。
アニエスは昔撮った友人たちの写真を引き伸ばして貼れないだろうかと思案していました。
そんな中、JRは浜辺に落とされたドイツ軍のトーチに、アニエスの撮ったギイ・ブルダンの写真を貼りました。翌朝、来てみると、写真は見事に潮に流されて消えていました。
アニエスは、ゴダールを訪ねてスイスのローザンヌへ行こうと持ちかけます。ゴダールの映画をどれも素晴らしいと絶賛し、しばらく会っていないけれど、ゴダールは友人だというアニエス。
映画『顔たち、ところどころ』の感想と評価
アニエス・ヴァルダはヌーヴェルヴァーグの一派“セーヌ左岸派”を代表する映画監督で1962年の『5時から7時までのクレオ』、1964年の『幸福』、1976年の『歌う女、歌わない女』などの作品がよく知られています。
「ヌーヴェルヴァーグの祖母」とも呼ばれ、1962年には『シェルブールの雨傘』などの作品で知られるジャック・ドゥミと結婚。昨年、日本で「ドゥミとヴァルダ、幸福についての5つの物語」という特集上映が開催されたのも記憶に新しいところです。
アニエス・ヴァルダは、本作『顔たち、ところどころ』撮影時は87歳。一方の写真家・アーティストのJRは33歳でした。
JRは、世界各国の社会的な問題を擁する場所でその地に住む人の写真を撮り、拡大し家や壁などに貼り出す“photograffeur(フォトグラファー)=フォトグラファー+グラフィティ・アーティスト”として知られています。
映画はまず二人の出会いを語ります。
「道では出会わなかった」とアニエスのナレーションが入り、同時に同じ道にいながら知らないもの同士の二人というシーンが現れます。
次いで「パスでも」「パン屋でも」「ダンスホールでも会ってない」と、その場所、その場所で一緒にいるのに、“出逢っていない”二人が画面に現れます。
出会いがいかに貴重で大切なものだったか、よくぞ出会えたねという互いの気持ちが、この冒頭にあらわれています。
出会った二人は一緒に仕事をしようと意気投合します。フランスの田舎を車でまわり、市井の人々のポートレイトを撮って大きく拡大し、建物や壁に貼り付けます。
人から見放された場所が華々しく蘇ったり、なんの変哲もない普通の建物が思いもかけない変身をとげたりする様は圧巻です。巨人が現れたかのような畏怖の気持ちを覚えたり、まるで祝祭の場が突然現れたような愉快な気分になって心躍らされます。
アニエスは人々にインタビューも試みますが、彼ら、彼女たちの返答も素敵です。
800ヘクタールの広大な土地を一人で耕している男性が、倉庫に大きく拡大された自分の全身が貼られたのを観て、「これで農地一面が見渡されるね」と感想を述べていたのがとりわけ気に入りました。なんて気の利いたことを言うんでしょうか!
映画は人々の笑顔で溢れています。それぞれの土地へのリスペクトやそこに暮らす人々への敬意があるからこそ、人々の笑顔を誘うのでしょう。
映画も半ばをすぎると、アニエスが若かりし頃を回想することが多くなっていきます。自分が昔に撮った想い出の写真を引き伸ばして貼ることはできないか、考え始めます。
砂浜に突き刺さったドイツ軍のトーチ(要塞)にギイ・ブルダンの写真を貼り付けた作品は素晴らしい限りなのですが、それが翌朝には波にさらわれてあとかたもなくなっている、その清々しいまでのあっけなさと来たら、なんだか人生の儚さを象徴しているようなエピソードです。
“映画”、“写真”といった“視覚”の芸術にたずさわる二人ですが、アニエスは視力が衰えてきており、JRはずっとサングラスをつけたままです。
二人が観ている風景は映画を観ている観客とは微妙に違っているのかもしれません。
JRは、アニエスが物をどのように観ているのか視覚化して大いに笑わせてくれますが、アニエスの方も、ずっとサングラスのJRはどのように風景が見えているのか、興味津々です。
時には、サングラスをはずすよう求めて喧嘩になることも。
作品の序盤には、ゴダールとの思い出が語られ、彼がサングラスをはずした瞬間のアニエスが撮った映画のワンシーンも登場してくるのですが、アニエスは、JRの姿にゴダールを重ねあわせたのかもしれません。
ゴダールの『はなればなれに』の中で、アンナ・カリーナらが、ルーブル美術館を最速で観るために走りぬける場面がありましたが、アニエスとJRもそれに挑戦します。車椅子に乗ったアニエスをJRが押して走るのです。
ラストもゴダールとのエピソードなのですが、ある意味予想されていた通りというか、期待を裏切らないというか、パブリックイメージそのままのゴダール像がそこにはありました。
まるで少女のように泣き始めるアニエス・ヴァルダが愛おしく、またJRが取る行動に、二人の関係の素晴らしさを思うのでした。
まとめ
可愛らしいコラージュが施されたフィルム。祖母と孫のような凸凹コンビが漫画チックな車に乗って旅をするロードムービー。ものすごく規模の大きい“工作映画”にわくわく、というメルヘンチックな側面を持つ一方、鮮やかな社会批評、歴史批評となっているのもこの映画の面白さです。
ジェンダーの意識も見逃すことはできません。
そして、最も注目すべきは「顔」というものにおける“平等性”です。ある意味無造作に建物や壁に貼られていく顔に、階級や序列などはありません。
このプロジェクトにおいて、それはかなり意識された部分なのではないでしょうか?
メルヘンのような遊び心と、信念を持った主張が一体となった作品-、『顔たち、ところどころ』はそんな作品なのです。