映画『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』は、2019年3月2日(土)より、UPLINkほか全国順次公開。
“ヨーゼフ・ボイス”=”社会を彫刻する芸術家”
アンディ・ウォーホルと共に時代を代表する偉大なアーティストが、膨大な資料と記憶によって、スクリーンの中を疾走する。
ついに、伝説のアーティストが蘇るー。
今回はアンドレス・ファイエル監督のドキュメンタリー映画『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』のあらすじと感想をご紹介します。
映画『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』の作品情報
【公開】
2019年(ドイツ映画)
【原題】
Beuys
【監督】
アンドレス・ファイエル
【キャスト】
ヨーゼフ・ボイス、キャロライン・ティズダル、レア・トンゲス・ストリンガリス、フランツ・ヨーゼフ・バン・デル・グリンテン、ヨハネス・シュトゥットゲン、クラウス・シュテーク
【作品概要】
1960年代から数多くの若者を熱狂させ、スキャンダルを巻き起こしてきた稀代の芸術家ヨーゼフ・ボイスを扱ったドキュメンタリー映画。
今作の監督を務めたのはドイツで社会派ドキュメントを中心に制作してきたアンドレス・ファイエル。
監督自ら「21世紀で最も偉大な芸術家」と賞賛するヨーゼフ・ボイスの人生と思想が、膨大な記録によってついにあらわになります。
映画『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』のあらすじとネタバレ
多くの聴衆に囲まれたフェルト帽の男。彼は壁に張り付いた脂肪を集め、頭に被る。
すると、ワーッと歓声が上がる。
筒から出る水を犬のようにガブガブ飲む。また、ワーっと歓声が上がる。
真剣に見つめる多くの若者は一斉に手を叩く。
まるでそこにいるオーディエンスはフェルト帽の男と共にパフォーマンスをしているかのように。
その帽子を被った男は「ヨーゼフ・ボイス」というドイツを代表する芸術家だった。
当時、多くの名声を浴び、現代アートのボス的存在だったアンディ・ウォーホルに変わって、彼は「世界で一番注目される芸術家」として世界各国から熱視線を浴びていた。
1966年、ボイスは「グランドピアノのための等質浸潤」という作品をドイツで発表した。
赤十字のマークがあしらわれた灰色のフェルトがピアノを覆っている。さらにそのピアノの周りにはおびただしい量のホール状になったフェルトが置かれている。
部屋一体を支配する圧迫感…。それを見た市民からは極端な意見が寄せられた。
「わからん」「わかりやすい」。
ボイスはインタヴューでこう語る。
「あなたは芸術の伝統から離れていますか?」
「もちろん。伝統から距離をとり、別の意味で芸術を組み立てる。それはあらゆるシステムに拡張されるものになる」
一連のパフォマーンス、作品、発言に至るまで、多くの人からは好奇な目で見られていた。
「異端」「狂気」「不毛」、彼には様々なレッテルが貼られた。しかしそのような「不毛」なレッテル貼りは逆に彼を駆り立てた。
ボイスは進んで公の場におもむき、電波を借りて自分の主張を叫び続けた。
特にボイスを中心としたテレビの討論番組では批評家や教授たちと激しい舌戦を繰り広げた。
「あなたは”群れ”という作品でなぜソリを車の後ろに並べたのですか?なぜ乳母車ではないのですか?」。
「知るか!!そんなのあんたが勝手にやれば良いじゃないか!!」。
場は荒れた。しかし、そこは紋切り型の芸術論を語るお堅い討論番組ではなかった。
ボイスのエスプリの効いた発言は客席を沸かせた。
批評家や教授たちは討論の内容に思わず笑みをこぼした。そこにはどことなく暖かいムードがあった。
ボイスは満面の笑みで言う。
「くたばれだのなんだの、あの番組の後、色んな悪口が僕の電話に届く。でもそれは人々が活気づいている証拠だ。人は怒らせることで活気付くんだ」。
彼は自らの手で、そして芸術で、社会システムを転覆させるために人々を挑発し続けた。
映画『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』の感想と評価
「異端のアーティスト」
「トリックスター」
「不毛」
「狂気」
これらは当時、ヨーゼフ・ボイスに付けられた異名です。
さらに自宅の電話で「くたばれ!」と過激派からのメッセージを受け取ることもしばしば。
それでも彼はメディアやアンチに進んで言葉をかけ、対話を促し、行動し続けました。
しかし、生まれながらにして、または学生時代からそういった社会派の芸術家だったというわけではありませんでした。
彼は2つの大きな「傷」によってドン底に叩きつけられた経験を持っています。
重いうつ病を患っていた青年期のボイスは内にこもり、自らの内面に視線を注ぎ続けます。
しかし、同時にその苦しい体験は、その後の進歩的な芸術スタンスを確立し、外に、社会に視線を送る彼の姿勢を作ったキッカケにもなりました。
この映画で面白いのが、芸術家ボイスが作品を作っている風景よりも熱く議論をし、話しをしている場面の方が何倍も多く映っている事実です。まるで政治家のようですが、ボイスのスタンスを上手く物語っていると思います。
彼は学生向けの講演の中で、「彫刻」に関するある理論を提示します。
いままで「静的(動かないもの)」として捉えられていた彫刻に「動的(動くもの/変化のあるもの)」な要素を加えるというものでした。
ボイスは「運動要因」を彫刻に加えることにより、常識を吹っ飛ばそうとします。
そして、それは同時に外へ、社会へ応用されます。
社会や政治に運動要因を加え、変化を加えようという試み。
進歩的で、革新的な芸術家は、時代にも味方され、若者からの絶大な支持を得ます。
彼は自らも「動的(動くもの/変化のあるもの)」なものとして促し、過去の「静的(動かないもの)」を否定し、疾走し続け、自ら止まることを拒絶しました。
今作は、そんな道程をたどるヨーゼフ・ボイスを巡った膨大な記録映像と写真が、流れるようにバシバシと100分間の中を駆け巡ります。
「疾走」する記録イメージの暴走。
情報量の多さのおかげで若干の疲れを感じながらも、このドキュメンタリー映画がアクション映画であるかのような「疾走感」を持っていることに気付かされます。
映画を駆け巡る「疾走感」
これはまさにボイスの「運動要因」という概念を映画内に良く消化させているために起こるものです。
『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』はヨーゼフ・ボイス入門としての格好の入り口となるだけでなく、作り手のボイスへの愛情と尊敬の念がしっかりと詰まった良作ドキュメンタリー映画です。
まとめ
今作はあくまで、ヨーゼフ・ボイスの人生や哲学を巡る自伝的映画になっています。
音楽家坂本龍一氏も賞賛するシンプルなサウンドトラック(エンディング曲がとても力強く美しい)や最低限の証言者数など、演出のどれも主張すぎることなく、映画の疾走感を途切れさせません。
さあ、危険な香りがするヨーゼフ・ボイスに迫ってみてはどうでしょうか。