連載コラム「未体験ゾーンの映画たち2021見破録」第10回
埋もれかけた映画の中から、時に危険すぎる作品すら上映する「未体験ゾーンの映画たち2021見破録」。第10回で紹介するのは人間に秘められた本質に迫る、危険過ぎる映画『ダーリン』。
1989年に発表した小説「隣の家の少女」で、世間に衝撃を与えた作家ジャック・ケッチャム。この作品は2007年映画化されました。
あまりに凄惨な内容が暴力ポルノと批判されながらも、スティーブン・キングらは賞賛、作品を巡る評価は真っ二つに分かれます。
きわどい題材に挑むケッチャム。彼の小説を映画化した『襲撃者の夜』(2009)、『ザ・ウーマン』(2011)は共に、現代に生きる人喰族を描いた作品です。
この前2作に続く作品が『ダーリン』。凶悪なテーマを通し、人間の本質を見つめ続けたケッチャムの、集大成と呼べる問題作を紹介します。
【連載コラム】『未体験ゾーンの映画たち2021見破録』記事一覧はこちら
CONTENTS
映画『ダーリン』の作品情報
【日本公開】
2021年(アメリカ映画)
【原題】
Darlin’
【監督・脚本・原作】
ポリアンナ・マッキントッシュ
【製作総指揮・原作】
ジャック・ケッチャム
【キャスト】
ローリン・キャニー、ポリアンナ・マッキントッシュ、ノラ=ジェーン・ヌーン、ブライアン・バット、クーパー・アンドリュース、ペイトン・ウィッチ、ジョン・マコーネル
【作品概要】
突如病院に現れた口のきけない野生児のような少女。彼女と周囲の人々との関係が、良識の裏にある闇を露わにします。衝撃的題材に挑んだ、ショッキング・スリラー映画。
ジャック・ケッチャムの原作を、「未体験ゾーンの映画たち 2016」上映作品『デス・ノート』のポリアンナ・マッキントッシュが監督。彼女は前2作の映画『襲撃者の夜』『ザ・ウーマン』、そして本作にも出演しています。
主人公を演じたのは『おやすみなさいを言いたくて』(2013)のローリン・キャニー。彼女に接する修道女を演じるのは洞窟ホラー映画『ディセント』(2005)のノラ=ジェーン・ヌーン。
ゾンビドラマ『ウォーキング・デッド』(2010~)に第7シーズンから出演のクーパー・アンドリュース、ドラマ『マッドメン』(2007~)のブライアン・バットが出演した作品です。
映画『ダーリン』のあらすじとネタバレ
雪の積もる林の中の、血の跡が残る道を、野生動物のような姿の女が裸足で歩きます。2人は都会を目指していました。
受付の女性がホームレスの男と会話を交わす病院の前に、先ほどの女2人が現れます。大柄の”女”はうなり声で、小柄な女に病院に行くよう促しているようです。
少女の様に見える、薄汚れた小柄の女は自動ドアが理解できない様子です。戸惑っている間に、到着した救急車にはねられた少女。
意識を失った少女(ローリン・キャニー)の腕には、「Darlin」と文字を並べた腕輪がありました。
グラント医師(ジョン・マコーネル)と看護士のトニー(クーパー・アンドリュース)に、ストレッチャーで運ばれる少女は目覚めて逃げ出します。
野獣のように唸って逃げた少女に2人は戸惑います。行方を探すトニーは、保育器の中の赤ん坊を見つめる少女を発見します。
暴れる少女をなだめ、四つん這いになった彼女にあわせ、自らも姿勢を低くするトニー。
落ち着いた少女に名を聞きますが、答えはありません。彼女の背後から近づき鎮静剤を注射するグラント医師。
少女を病院に送り届けた、野獣のような”女”(ポリアンナ・マッキントッシュ)は、林の中に帰っていました。
死体でしょうか、防寒着を来た男の体を引きずる”女”。
病院では意識の無い、体を清めた少女の爪をトニーが切っていました。10代の少女に鎮静剤を使ったと批判したトニーに、グラント医師は彼女は危険だと答えます。
彼女の家族が現れないなら、聖フェロミーナ教会が世話をすることになると告げる医師。
医療に携わる者として、トニーは教条主義的で同性愛に批判的な態度の、病院に影響力を持つ教会を敬遠していました。
その夜、病院の近くにあの”女”が現れます。病室の窓から”女”を眺める少女。
“女”はナイフを取り出し、ベンチに寝るホームレスの男の喉を斬り裂きます。
それを見て興奮したのか、病室に現れた看護師のトニーに襲いかかる少女。しかしトニーがほほ笑むと、少女も笑顔を見せました。
“女”は死んだホームレスの腹の一部を切り取り、少女の病室の窓の外に置きます。少女は反応せず、窓のロールスクリーンを降ろします。
病院に聖フェロミーナ教会の司教(ブライアン・バット)が現れます。司教に保護している少女は、推定16、17歳位だと説明するグラント医師。
文明の利器を知らず、何もしゃべらない少女。失語症の可能性もあるが、人間社会を知らぬ野生児の可能性があると医師は推定し、司教はそう望んでいました。
修道女のジェニファー(ノラ=ジェーン・ヌーン)が来ました。教会の女子保護院に引き取られる少女の世話を、シスター・ジェニファーが行う予定です。
扉の窓に迫る少女は、司教には野蛮な野生児そのものに見えました。
病院食に興味を示さぬ少女の元にトニーが現れます。彼の用意したファストフードの肉を手づかみで食べる少女。
車の中の司教はジェニファーの隣で、野生児の少女を授かったと感謝の祈りを捧げます。
司教は彼女に人間性を与えて世間の注目を集め、存続が危ぶまれる聖フェロミーナ教会が、充分な資金を得れることを希望していました。
彼はシスター・ジェニファーに、野生児の少女を導く使命を与えます。
教会を救うのは使命の成功だと語る司教に、偽善的なものを感じるジェニファー。
病院を出た少女が、聖フェロミーナ教会の女子保護院に送られる日が来ました。
看護士のトニーが車で連れて来た少女を司教や修道女、そして保護院の少女たちが迎えます。
普段着を身に付けた少女は、車から降りるトニーの陰に隠れました。
聖フェロミーナ教会の、女子グループホームへようこそ、と挨拶する司教。
車に乗った少女は、少し動揺しているかもと告げるトニー。司教はシスター・ジェニファーに少女の案内を任せます。
シスターに歯をむき出しにして威嚇する少女を、トニーがなだめます。彼女を必ず成長させる、とトニーに約束するジェニファー。
虐待のような昔の失語症治療は行えない、とジェニファーに告げる司教。昔は治療に使ったコカインを、まだ入手できるかと質問します。
過去に薬物問題を抱えていた彼女は否定します。自らもオンラインで、様々な言語療法を調べたと説明しました。
司教は世間にアピールする、野獣のような少女の映像を欲していました。神の仕事を成すために敬虔な人々を騙すのは、悪魔だけの仕事ではないと言う司教。
何もしゃべらぬ少女の前で、カード遊びに興じる保護院の生徒たち。
彼女にルールを教えようとするパグを、歳を取ってイライラしていると言う他の生徒。一定の年齢を越えると退所するのが保護院の決まりです。
言い争いになりそうな生徒たち。他愛ない会話を交わしていると、シスター・ジェニファーが現れました。
少女が身に付けた腕輪の文字と同じダーリンと呼びかけ、付いてくるよう言うシスター。
シスターと司教はダーリンを鶏小屋に案内します。司教は宣伝用に、彼女の野獣のようなな姿を撮影しようとしていました。
怯えているとのジェニファーの言葉に構わず、ダーリンを鶏小屋に閉じ込める司教。
普通の少女に見えると、シスターに彼女を汚せと指示します。小屋に入りダーリンの腕や顔に、泥をなすりつけたジェニファー。
怒り出したダーリンをシスターは必死に制します。司教の望む姿になりました。
金網を破り逃げようと暴れるダーリンを、彼は撮影し続けます。迫ったダーリンに棒を突き付ける司教。
撮影を終えると小屋に入り、うって変わった態度でダーリンをなだめる司教。彼女は司教の胸に身を預けます。
シスター・ジェニファーに対し、司教は正しい事を行うのは簡単ではないと告げました。
そんな司教を固い表情で見つめるシスター。私たちは良いことをした、と強調する司教。
ダーリンにシャワーを浴びさせたジェニファーは、1人で泣いていました。
シャワーを浴びるダーリンは、雪山で”女”といた時に、遭難し倒れた男を見つけた時を思い浮かべます。その男とキスを交わすダーリン。
その頃ダーリンを探しに現れたのか、病院の外に”女”がいました。トニーは気配を感じますが、見つけることは出来ません。
ダーリンは喋れないまま他の生徒と同じ授業に参加します。老シスターは彼女を普通に扱い、いつもと同じ調子でルールを説明します。
暴力も悪口も、ドラッグも酒も、外食も俗な音楽も無し。そんな保護院のルールに構わず、隠れて自由に振る舞う生徒たち。
神と教会に栄光を。その言葉に続き老シスターは罪の進化、聖書の説く女の原罪を教え始めます。
老シスターは、他の子に行うのと変わらぬ態度でダーリンに体罰を加えようとして、威嚇されました。
他の生徒には痛快な光景です。ジェニファーが授業を引き継ぎ、エデンの園でイヴは蛇にそそのかされ、禁断の果実を食べたと説きます。
その原罪から女には、出産の苦痛が与えられた。ふざけて聖書を読んだ生徒のビリーは、ジェニファーに連れ出されました。
罰として司教の元に連れて行かないでくれ、と叫ぶビリー。そこに送り届けたジェニファーの手は震えていました。
女の原罪についてダーリンに教える老シスター。唸り声をあげた彼女は窓から逃げ出します。
その夜、司教はシスターたちと林の中でダーリンを探しますが見つかりません。同じ夜、”女”は街の中を歩いていました。
翌朝、寝ていた”女”を不審人物として声をかけた警官は、”女”に襲われ首を噛まれます。
喰いちぎった肉を食べる”女”。汚れたコートを着た彼女は死体をゴミ箱に入れ、サングラスと銃を奪い立ち去ります。
“女”はダーリンを送った病院に入ります。彼女を迷い込んだホームレスと思い、声をかけたグラント医師の腹をナイフで斬り裂く”女”。
さらに病院に慰問に来たピエロの胸に、”女”はナイフを突き立てます。
“女”は看護士のトニーを見つけると、彼のポケットからダーリンの腕輪を出し見せました。
トニーは彼女がダーリンを探していると知り、車に乗せ聖フェロミーナ教会に向かいます。車に乗りパニックになる”女”。
教会ではシスター・ジェニファーが、行方不明のダーリンを探すのに外部の力を借りるべきと司教に訴えていました。
司教は森をさまよっているだけで、我々は彼女を失っていない、共に祈ろうと言います。事態が表沙汰になるのを避けたい様子の司教。
保護院の生徒ビリーは林の中で隠れ、イヤホンを付け音楽を聴き煙草を吸っていました。そこにダーリンが現れます。
ビリーは彼女にイヤホンの片方を与え、ジャメス・ラケットの曲「Don’t Sass Your Mama」を聴かせます。
ダーリンも音楽が気に入ります。行き場所は他にあるか、私には無いと話しかけたビリー。
それでもここより悪い場所がある、とビリーは言葉を続けます。私は別れた母を追うが、あなたに母はいるのかと聞いた彼女は、ダーリンにスカーフをかけてやります。
トニーの車はパトカーに追われます。”女”がハンドルに手を出し運転を誤った結果、車は横転しました。
警官がトニーを助けます。しかし”女”の姿は消えました。
ビリーは林の中に煙草やプレイヤーを隠し、ダーリンの手を引き教会へ戻ります。
隠れていた”女”に、ホームレスの女モナが声をかけます。”女”を仲間と認めたモナ。
“女”の「ダーリン」との呟きを、モナは誘っていると受け取り、自分が仕切る女ホームレスのたまり場に案内しました。
戻ってきたダーリンを、シスター・ジェニファーは優しく受け入れます。昨日の撮影で行った振る舞いを詫び、2度としないと約束します。
ダーリンはジェニファーや少女たちに心を開き始めます。
“女”は女ホームレスの体を買おうと強引に迫った男に怒ったのか、銃を突き付け捕まえ暴行を加えます。
ダーリンは教会と少女たちの世界を、”女”はホームレスの世界を受け入れました。
映画『ダーリン』の感想と評価
この映画を見た人は、例外なく打ちのめされたでしょう。
純粋な野生児の少女の正体もさることながら、キリスト教的価値観やそれらに支えらた、人間の道徳観念に疑問を突き付けます。
さらに宗教組織(カトリック系です)の組織的な偽善・腐敗を痛烈に批判。この物怖じしない大胆な主張には、観客が怯みます。
さらにキリスト教の原罪とは異なる形で描いた、産む性としての女性描写。
産む行為は、性にも死にも密着しており、生は他の命を奪い食する行為につながる。女性はその現実に、男性よりも正面から向き合わねばならない。
これらを残酷なまでに描いた『ダーリン』、恐らく男性監督が描けば非難を浴びるでしょう。しかしこのテーマに向き合ったのは、女優ポリアンナ・マッキントッシュ。
女優だけでなくクリエイター、ファッション業界でも活躍し、若者の自殺防止支援団体のサポート活動をしている、彼女無くして本作は誕生しませんでした。
ジャック・ケッチャムの問題作を深く追及
参考映像:『襲撃者の夜』(2009)
本作に注目するのは、ドラマ『ウォーキング・デッド』ファンが多いでしょう。同作のシーズン7から登場の、ポリアンナ・マッキントッシュとクーパー・アンドリュースが出演しています。
本作の原作は、過激な描写で物議を呼んだジャック・ケッチャム。彼のデビュー小説「オフシーズン」(1981)は、現代のアメリカに生きる人喰族と、都会の若者の闘いを描いた作品です。
その世界は「襲撃者の夜」(1991)に発展、この小説は後に同じタイトルで映画化されます。この時人喰族の”女”役で、ポリアンナ・マッキントッシュが出演しました。
その続編を、『MAY メイ』(2002)のラッキー・マッキー監督とケッチャムが共同で執筆、それが「ザ・ウーマン」(2010)です。
小説はラッキー・マッキーが『ザ・ウーマン』(2011)として映画化。この作品でもポリアンナ・マッキントッシュが”女”を演じます。
この作品では人喰族の”女”の存在が、現代人に潜む野蛮さ、残酷さをさらけ出し、シリーズは深みを増していきます。
ケッチャムの世界にインディーズ映画界の才人が集結
参考映像:『ザ・ウーマン』(2011)
『ザ・ウーマン』で描かれた世界を、女性を取り巻く差別的環境も含め発展させた作品が『ダーリン』です。
前2作のプロデューサーからオファーがあり、本作では監督も引き受けたポリアンナ・マッキントッシュ。作品は前作をコンセプトを引き継ぎました。
本作で司教を演じたブライアン・バットは、TVドラマ『マッドメン』で、1960年代の同性愛者を演じています。
自らを同性愛者と公言し、同性の配偶者を持つ彼が、どんな意図で出演したかは明白でしょう。
医師役のジョン・マコーネルはインディペンデント映画を中心に活躍する俳優で、ジョン・グッドマンの親友です。
保守的な立場から物申すラジオパーソナリティーとしても人気です。本作出演は彼の俳優としての度量を示すものでしょう。
ラッキー・マッキーは製作に参加、彼は本作に音楽を提供したジャメス・ラケットとは、大学で映画・アニメーション製作を学んだ際に知り合い、共同で多くの仕事を手がけました。
本作のインディーズ映画的な雰囲気は、こういった人々の参加で生み出さました。
インドでの事件をヒントに、本作の物語を描いたポリアンナ・マッキントッシュ。信仰への攻撃ではなく、権力・権威の偽善性や女性の権利について描いたと説明しています。
本作の製作が動き出した時には、体調が悪化していたジャック・ケッチャム。しかしセットを訪れた際は笑顔で、周囲を明るくたと振り返っています。
本作の脚本執筆に際しアドバイスを求めると、ケッチャムは「書くだけだ」と答えます。その言葉に後押しされた、と語るマッキントッシュ。
ジャック・ケッチャムは10代の頃、『サイコ』で知られるホラー小説家ロバート・ブロックの知己を得て師事、2人は長らく交流を続けました。
その親愛と敬意に満ちた関係は、かつてロバート・ブロックがH・P・ラヴクラフトとの間に築いたものと同様だった、と言われています。
そして現在、亡きジャック・ケッチャムから直接影響受けた、新たな世代のクリエイターたちが活躍しています。
まとめ
残虐シーンよりも、人の世の良識や社会通念の先にある、本質的な闇をテーマとして取り上げたことが衝撃的な映画『ダーリン』。
軽いホラー映画と思って見た人には、鈍器で殴られたような体験だったでしょう。
この陰惨な物語に、当事者である若い女性たちが、軽い調子でたくましく向き合う姿が。作品に明るさを与えてくれます。
これは主人公を演じたローリン・キャニーほか、キャスティングディレクターに選ばれた若い女優たちにより描かれました。
エンドロール後に登場する映像は没シーンか、撮影中のお遊びと思われますが、これが本作ラストの後日譚であれば、少し救われた気分になります。
過去の哲学者がキリスト教の価値観を無条件に受け入れ、それを前提に人間を考察していたと批判した、ドイツの哲学者ニーチェ。
彼の「神は死んだ」、「善悪の彼岸」という言葉は、『ダーリン』をという映画を読み解く手助けになるでしょう。
ニーチェの「深淵をのぞく時、深淵もまた、こちらをのぞいているのだ」という言葉は、様々な形で引用され有名です。
何らかの興味や秘めた欲望を満たすため、ホラー映画を見ている方の中には、その行為こそが自分という人間を再認識させる、と気付いた方もいるでしょう。
「ホラー映画を見る時、ホラー映画もまた、こちらを見つめているのだ」
『ダーリン』を鑑賞すれば、間違いなくそんな思いに向き合わされます。
次回の「未体験ゾーンの映画たち2021見破録」は…
次回、第11回は水没寸前の洞窟に巨大人喰ワニ出現!絶体の危機を描くアニマルパニック映画『ブラック・クローラー』を紹介します。お楽しみに。
【連載コラム】『未体験ゾーンの映画たち2021見破録』記事一覧はこちら