連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第29回
“誰かのために働くこと”を選び、学んでいく看護師の卵たちに密着。
今回取り上げるのは、2019年11月1日(金)より新宿武蔵野館ほかで全国順次公開の『人生、ただいま修行中』。
『ぼくの好きな先生』(2002)のニコラ・フィリベール監督が、人命を預かる看護師たちの卵に140日間密着した奮闘の記録です。
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映画『人生、ただいま修行中』の作品情報
【日本公開】
2019年(フランス映画)
【原題】
De chaque instant
【監督・撮影・編集】
ニコラ・フィリベール
【製作】
ドゥニ・フロイド
【作品概要】
『パリ・ルーヴル美術館の秘密』(1990)、『音のない世界で』(1992)、『ぼくの好きな先生』などで知られるフランスのドキュメンタリー映画監督ニコラ・フィリベールが、看護学校の生徒たちに140日間密着。
フィリベール自らカメラを回し、彼らが壁にぶつかりながらも、如何にして成長し学んでいくのかを、独自の温かい視線で追っていきます。
本作は、フィリベールにとっては2007年の『かつて、ノルマンディーで』以来、11年ぶりの日本公開作となります。
映画『人生、ただいま修行中』のあらすじ
フランス、パリ郊外にある看護学校で学ぶ40人の生徒。
年齢、性別、出身も異なる看護師の卵たちは、採血も点滴も抜糸もギブスを外すことも、全てが初体験。
最初こそ、右も左も分からなかった彼らも、やがて実践の現場に駆り出されます。
彼らはつまずき、時に笑い、苦悩し、それでも「誰かの役に立ちたい」と、少しずつ成長していくのです。
そうした実習の現場で、彼らが患者と自分に向き合う150日間を、フィリベール監督はつぶさにレンズ越しに見つめていきます。
製作のきっかけは監督の生命の危機から
本作『人生、ただいま修行中』が製作されるきっかけとなったのは、監督のニコラ・フィリベールの体験に基づいています。
2016年に、フィリベール自身が塞栓症で救急救命室に運ばれてしまい、あわや生命の危機に陥ったのだとか。
九死に一生を得た彼はそこで、医療関係者、とりわけ看護師に密着した映画を撮れないかと考えたのち、本作を着想しました。
3つの構成で進行
本作は、大きく分けて3部構成となっています。
最初のパートは、入学間もない看護師の卵たちが、先生の講義を受ける様子を追います。
看護の知識がない彼らが先生の話に熱心に耳を傾けるのですが、中にはクラスメイトに抱きついたり、手を絡ませながら聞く生徒も。
要は、生徒と先生の関係がとてもフレンドリーなのです。
こうした光景は日本の看護学校ではありえないのかもしれませんが、彼らの目は至って真剣。
このあたりは、人どうしのスキンシップを大切にするフランス人気質といえるかもしれません。
次のパートでは、本格的な実習講座を映していき、人口呼吸法やギブスの外し方などを学んでいきます。
この実習で注目すべき点は、フランスでは血圧測定や採血、点滴方法といった臨床経験を早い段階から生徒に積ませるということです。
というのも、日本の病院では、臨床経験が3年未満の看護師には点滴などの施術をさせなかったり、就職の面でも「臨床経験3年以上の看護師」という条件を出す所が多いです。
実はこの条件は法律で決められているというわけでもなく、あくまでも目安として定められていたり、中にはその定義自体があやふやだったりするのだとか。
そんな日本を反面教師にしているというわけではないでしょうが、フランスではそれだけ即戦力となる人材育成に力を注いでいることとなります。
そのため、時には実際に入院している患者に協力を仰ぐことも。
つまり、本物の患者の体を使っての実習を行うのです。
初めて注射を打つ生徒の“実験体”になったと知り、明らかに不安な表情になってしまう患者などは、気の毒に思いつつも笑ってしまいます。
病院とは社会の縮図
一方でフィリベール監督は、生徒たちのパーソナルな面にも触れていきます。
それが、3部構成の中で最後のパートにあたる、生徒へのカウンセリング。
生徒たちには、実習先での苦労や辛さを先生に相談する場が与えられています。
容易に習得できるわけでない医療技術の壁に直面したり、精神疾患や末期がんで苦しむ患者と接するうちに、次第に心が折れていく者。
中には、院内での人間関係が上手くいかない者や、泥棒に入られて落ち込む者、アルバイトの掛け持ちがきついと嘆く者など、悩みは十人十色です。
そんな彼らの率直な言葉を、カウンセリングの先生は上手く引き出し、自ら答えを見つけるよう導いていきます。
このパートに関してフィリベールは、実に60ものカウンセリング模様を収録し、その中から13を採用。
「看護学校、そして病院はいろんな人々が否応なく集まってくる場所。社会的には一番多くの種類の人々が集う、まさに社会の縮図」とフィリベールが言うように、本作はさまざまな性別、人種が暮らすフランス社会を映してもいるのです。
どんな職においても、求められるのはプロフェッショナルな人材。
その中でも、人命を預かる看護師は、常に100%の技術を要します。
いみじくも、生徒の一人がカウンセリングの場で言います。「自分が誰かの役に立つ人間だと感じたかったから、この職を選んだ」。
失敗や挫折を繰り返した卵たちが一人前となっていく過程が、胸に迫る作品です。