ジョン・カサヴェテスが自らの姿に重ね合わせたのは、“クレイジー・ホース”に夢を掛けた男、コズモ・ヴィッテッリ。
異色のフィルム・ノワール『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』をご紹介します。
映画『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』の作品情報
【公開】
1976年(アメリカ)
【原題】
The Killing of Chinese Bookie
【監督】
ジョン・カサヴェテス
【キャスト】
ベン・ギャザラ、ミード・ロバーツ、ティモシー・アゴリア・ケリー、シーモア・カッセル、ロバート・フィリップス、モーガン・ウッドワード、アル・ルーバン、アジジ・ジョハリ、アリス・フリードランド
【作品概要】
ジョン・カサヴェテスが『こわれゆく女』(1974)の次に製作に当たったフィルム・ノワール。興行成績は振るわなかったが、現在でも語り継がれるインディペンデント映画の傑作として名高い。
主演にカサヴェテスの盟友ベンギャザラを迎え、シーモア・カッセルなどおなじみの面々が顔を揃え、音楽を担当したボー・ハーウッドが作品に彩を添えている。
映画『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』のあらすじとネタバレ
オープンカフェでマーティという取り立て屋の男と会っているのは、ナイトクラブ“クレイジー・ホース”のオーナーであるコズモ・ヴィッテッリ。
店を完全に自分のものにするために7年もの間払い続けた借金が今日、ようやく完済したのです。
他にも何かあったら言ってくれというマーティの言葉に、「お前はゲス野郎だ。もう会わん」と吐き捨て、その場を去っていくコズモ。
彼が向かったのは、もはや自分の城となった場所“クレイジー・ホース”。しかし、コズモは店に入るなり、閑古鳥が鳴いている様子に思わず毒づきます。
バーテンのサニーは制服すらきちんと身に着けておらず、肝心要の女たちは舞台に立ってさえいないのです。
コズモが女たちはどこだと問うと、まだ楽屋にいると客引きのヴィンス。2階にある楽屋へと上がっていくと、女たちはのんびりとメイクの最中でした。
彼女たちを急かしながらも、くだらない小話を披露して場を和ませるコズモ。
その後、居ても立ってもいられない様子のコズモは外に出て、ヴィンスと共に客引きに勤しみます。すると、ちらほらと現れる客たち。
その中の一組、モート一行はコズモの店をこの界隈で一番だと褒め称えてくれました。なんでも彼もサンタモニカで店をやっているのだとか。
「こことは違ってギャンブルの店だが」とモート。海辺だから空気は良いしという言葉に興味を示したコズモに、もし来てくれたら上限なしで貸すとモートは請け負ってくれました。
そして今宵のショーが始まりを告げました。進行するのはミスター・ソフィスティケーション(伊達男)。彼の卑猥でブラックなユーモアにまみれたショーがクレイジー・ホースの売りでもありました。
その間にモートの店について詳しく話を聞かせてくれとせがむコズモ。そこはポーカーをやる気軽な店で、紹介があれば食事時もワインもタダで楽しめるとモートは言い、「上客」と書いた名刺を渡してくれました。
翌日、モートの店へ行くためにクレイジー・ホースの女たちをリムジンで迎えに行くコズモ。ドレスアップしたシェリー、マーゴ、レイチェルを引き連れ、いざカジノへと向かいました。
カジノでのコズモは負けが込んで熱くなってしまい、イライラした様子。借金を重ねてもやめようとしません。再び勝負しようと支配人を呼ぶと、これ以上は貸せないと跳ね除けられます。
上限なしで借りられると聞いていたとすごむコズモ。モートに確認してこいと支配人に怒鳴ります。
結局一晩で2万3000ドルもの借金を背負ってしまったコズモ。モートの上役たちに呼びつけられ、借用書に署名させられます。踏み倒しはしないし、必ず払うとコズモは約束し、彼はその場をあとにしました。
途方に暮れていたコズモがカフェに立ち寄ると、店員の女がクレイジー・ホースで働きたいからオーディションしてとせがんできます。
その女を見て良い体をしているとコズモも気に入ったようで、店に戻って早速オーディションを行うことに。
彼女が舞台で裸で踊っている姿を見つめるコズモ。するとそこへレイチェルがやってきます。コズモに恋心を抱いていたレイチェルは怒り狂い、店で暴れ回ります。逃げていくカフェの女。
必死でレイチェルを制止したコズモ。ここはクラブなのだから女を使うさと宥めます。コズモの方でも彼女のことを一番に考えているようでした。
その夜、クレイジー・ホースでは「パリへ」という出し物で盛り上がっていました。そこへモートやその組織のボスら一行が店の前に車でやってきます。
店の外に呼び出されたコズモ。「ちょっと挨拶に寄っただけだ」とボスにレストランへと連れ出されます。
その場で呑み屋の“チャイニーズ・ブッキー”という男の話を持ち出してきた組織の一行。何でもそいつに困らされているのだとか。
すると話の終着点が見えたコズモが一旦遮ります。何をさせたいのか分かるが、そういうことは出来ないと拒むコズモ。それに対し「利口になれ」とモート。一行の中で最も攻撃的な男フローは「お前は借金をこさえた。返すしかねえ」とすごみます。
翌日、再びクレイジー・ホースへ現れたモートは、「やつを見つけたか」とコズモに尋ねます。それに対する返答は「見つける気はない」というもの。
じゃあ金はどうするとにこやかに尋ねてくるモートに連れ出されると、店の外にフローが待っていました。物陰に連れて行かれるコズモ。
殴られた後、彼らの車に押し込まれます。その場で銃を渡され、車を用意したからそれで行けとモート。
道順と手順を教わるコズモ。目的は、チャイニーズ・ブッキーことベニー・ウーを殺すこと。
映画『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』の感想と評価
ジョン・カサヴェテスにしては珍しくフィルム・ノワールの形式をとった作品『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』は、『こわれゆく女』や『グロリア』ほどの知名度はありません。
しかし、これは紛うことなきジョン・カサヴェテス作品の一つであり、男の生き様と悲哀を描いた傑作なのです。
主人公コズモは、ようやく全ての借金を払い終え、ナイトクラブ“クレイジー・ホース”の一国一城の主になったばかり。
そんな彼は浮かれてギャンブルに手を出し、やがて泥沼にはまっていくことになる訳ですが、彼の運命は最初からすで決まっていたような気すら漂う何とも言えない憂いと哀愁に満ちた表情を浮かべています。
コズモが湛えるこういった感情がダイレクトに観客へと伝わってくる一つの要因として、彼がジョン・カサヴェテスの分身であるからに他なりません。
コズモにとっての“クレイジー・ホース”は、カサヴェテスにとっての映画や彼を取り巻くコミュニティにそのまま当てはまります。
どんな時もクレイジー・ホースのことを心配しているコズモ。チャイニーズ・ブッキーを殺しに行く時ですら、店の様子を窺うためにわざわざ電話を掛けるほどです。
自分の城を守るために、仕方なく殺しを引き受ける羽目になってしまったコズモと重なるのは、自身の映画を製作するための資金集めとして俳優活動をしていたカサヴェテスその人。
彼に群がる借金取りどもはまるでハリウッドの商業主義そのものを見ているようで、胸が痛くなる思いに苛まれます。
傷を負いながらも店へと向かい、ミスター・伊達男を宥め、女の子たちを宥め、自らの痛みなど関係ないかのように舞台に立ち、新しいショーを始めると宣言するコズモ。
この先、“死”という運命しか待ち受けていないことは分かり切っているはずなのに、それでもクレイジー・ホースのために尽力するコズモの姿は、いかにジョン・カサヴェテスが映画を、そしてそれを取り巻く人々を愛していたかを物語っているのではないでしょうか。
また、そんなコズモを見事に演じきった名優(盟友でもある)ベン・ギャザラには拍手を送りたいほど。暗闇の中で佇む彼の憂いに満ちた表情は、セリフなど必要なくともコズモという人間性を表現して見せています。
他にもカサヴェテス組の一人シーモア・カッセルが組織の一員(モート)としていい味を出し、フローを演じたティモシー・アゴリア・ケリーの何とも言えない奇妙な表情を浮かべる強面の男として強烈なインパクトを残していますね。
まとめ
『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』は、当時流行っていたギャング映画の枠組みに当てはめて製作されたものだと言われています。
しかし、それがジョン・カサヴェテスの手に掛かるとこれほどまでに独自性の強い作品になるのかと感嘆のため息が漏れるほどですよね。
例えば、同時代のギャング映画と言えばフランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』(1972)やマーティン・スコセッシの『ミーン・ストリート』(1973)などが挙げられるのですが…
これらの作品群と比べると、カサヴェテスの描き出したのが如何に特殊な世界観なのかということが、良く分かると思います。(スコセッシはカサヴェテスの影響を受けているのでどちらか言えば近い部類に入るが)
また、全編に渡る暗闇の描写(重要なシーンにも関わららずキャストの表情が見えないほどの)は、ゲイリー・オールドマン監督・脚本の『ニル・バイ・マウス』(1997)に影響を与えたとも言われており、改めてジョン・カサヴェテスという監督の偉大さを痛感させられるばかりです。