ドキュメンタリー映画『ディヴァイン・ディーバ』は、2018年9月1日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿ほか全国順次ロードショー。
60年代の軍事独裁政権下のブラジル。性的少数派で女装芸能の才能を披露することで、自分らしく生きる道を選んだドラァグクイーンたち。
リオ・デ・ジャネイロのヒバル・シアターで、当時活躍した8人がデビュー50周年を記念して再結集!
しかし、遠ざかっていた久々のパフォーマンスに悪戦苦闘しながらも、ライブ敢行へ挑む姿とは…。
映画『ディヴァイン・ディーバ』の作品情報
【公開】
2018年(ブラジル映画)
【原題】
Divinas Divas
【脚本・監督】
レアンドラ・レアル
【キャスト】
ブリジッチ・ディ・ブジオス、マルケザ、ジャネ・ディ・カストロ、カミレK、フジカ・ディ・ハリディ、ホジェリア、ディヴィーナ・ヴァレリア、エロイナ・ドス・レオパルド
【作品概要】
ブラジルのドラァグクイーンたちの黎明期を生き支えてきた人々にスポットを当てたドキュメンタリー。
ブラジルの女優レアンドラ・レアルが監督を務め、実は彼女はナイトクラブのオーナーの孫娘であり、往年のドラァグクイーンたちを舞台袖から見ていたと思いを込めて演出しています。
映画『ディヴァイン・ディーバ』のあらすじ
1960年代の軍事独裁政権下が厳しかったブラジル。
その時代に、ゲイやレズビアンなど性的少数者たちに、今のような自由はありませんでした。
しかし、彼らは女性装をして芸ごとの才能を披露することで、自分らしく生きることを選んできました。
かつてレジェンドであった彼らが歌い、踊っていた拠点であるリオ・デ・ジャネイロのヒバル・シアター。
その創立70周年を記念して、劇場から巣立ったレジェンドたちが一堂に会した「ディヴァイン・ディーバス・スペクタクル」が開催されます。
2014年に行われた特別版、レジェンドたちのデビュー50周年祝賀イベントのプレミアでは、長い間舞台の仕事からは遠ざかり、歳を重ねた高齢の彼女たちが、ときに文句タラタラ四苦八苦しながら演目に挑みます。
その姿をとらえつつ、輝かしい60年代の華麗なるシーンを振り返りますが…。
映画『ディヴァイン・ディーバ』の感想と評価
女優レアンドラ・レアルが監督をする意味とは
本作品『ディヴァイン・ディーバ』の演出を務めたのは、1982年9月8日、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ出身で、国際的に活躍を見せる女優レアンドラ・レアル。
ブラジル人女優の彼女は、これまでに25本の映画、12本のテレビドラマ、6本の演劇に出演してきました。
レアンドラの女優としてのデビューは、13歳の頃にヴァウテル・サレス・ジュニオル監督の『The Oyster and the Wind』(1997)で始まり、しかもこの作品でフランスのビアリッツ映画祭主演女優賞を受賞します。
それ以後の主な受賞歴は、グラマド映画祭主演女優賞を2度、ブラジルアカデミー賞を3度受賞などがあります。
女優活動のみならず、プロデューサーとしても、3本の長編映画に携わってきた彼女は、本作『ディヴァイン・ディーバ』で満を持して監督デビューを果たしました。
女優業を通してレアンドラは、監督業がいかに難しく、広範にわたる仕事なのかということに認識を深めてきました。
それでも彼女の望みとして抱いた監督への夢を叶えることについて、レアンドラは次のように述べています。
「監督はこうしてどのようなプロジェクトに挑むことになるとしても、自分自身が1人のアーティスト、市民、そしてクリエイターとしてモチベーションを持てるユニークでパーソナルなテーマ、つまり私自身の歴史に関わる、私にしかできないテーマを見つけたいと思っていました」
レアンドラ監督は、「自分自身、アーティスト、市民、ユニークでパーソナルなテーマ、個人史」と並べたうえで、“私にしかできないもの”を見つけたいと述べています。
つまり本作のなかには、彼女自身が子どもの頃から何か見てきたこと、誰かと向き合ったことをすべて出し切り、押し並べた個人史の宝石箱のような作品だといってもよいでしょう。
本作の主人公たちは、LGBTであることを抱えたドラァグクイーンたちです。しかも現在は高齢になった彼女たちの老いを、赤裸々に感じさせる光景ばかりに見えます。
昔のような歌声が出ず、ステップも踏めなくなったような時には周囲に苛立ちを示す場面も登場します。
また、今の方が素晴らしいと毅然として強がってみせる姿もありました。
終始そのような様子を見た際に感じていたのは、なぜ、そこまでして彼女たちが女装をして踊るのか。また自由でありたいのか、幸せになりたいのかということが、彼女たちの舞台上の輝きに反して脳裏に影を落とします。
それは老いてなお、“演じる=真の自分になる”という衝動の姿です。
何者かになりたがる自身とは何者なのでしょう。そう考えた時に、長年にわたり女優を演じてきたレアンドラ・レアルにしか監督ができないことの理由が少し見えてくる気がします。
また、レアンドラ監督はこのようにも述べています。
「私の祖父は演劇プロデューサーでしたし、母は私と同じく女優です。私が育った環境は、芸術で政治色が強く、自由主義でした。子ども時代を振り返ったときに家として1番印象に残っているのは、母と暮らした家々ではなく、祖父の劇場ヒバル・シアターです。私はその劇場の謎めいた不思議な舞台裏で、愉快でクレイジーで才能豊かな大人たちに囲まれて育ったのです」
レアンドラ監督の語ったこのことこそが、彼女が見てきたものであり、肌感覚で感じてきたことです。
そのことはフィクションとして脚本に書いてある台詞を覚えて他人格となる女優業とは異なり、監督として自身の内にある言葉を形にし、自身そのものになる作業です。
また、子どもの頃のレアンドラが舞台袖から見ていた、“愉快でクレイジーで才能豊かな大人たち”を再び舞台に上がらせ、光をあてることです。
それは一見残酷なようにも思うかもしれません。
しかし、そのドキュメンタリー手法に隠された演出は、演劇プロデューサーの祖父と一体化することであり、擬似的に女優である母親の存在を感じ、また、自身の未来の姿という勇気を得るという行為です。
それを誤解を恐れずに言えば、イタリアの名匠フェデリコ・フェリーニ監督が得意とした、時空と怪物が混沌と遊ぶ様そのものです。
この面白さこそ、彼女にしかできない家族や生きてきた環境、個人史的な宝箱のオープンセサミ(Open Sesame)という、「開けゴマ!」という魔法の呪文(映画演出)なのでしょう。
もちろん、本作『ディヴァイン・ディーバ』では、表立ってそのようなヤボなことを描いてはいません。
ただただ、ジッと、レアンドラ監督は70歳代となったドラァグクイーンを静かに見つめているだけです。
ディヴァイン・ディーバたちがデビュー50周年のイベント舞台という観客の前で歌い踊る見世物の姿と、舞台裏や楽屋で子どもの頃から少女レアンドラが目にしてきた両面を映像にすることに成功し、彼女たちディーバの素の顔も見せてくれます。
レアンドラがリスペクトするドラァグクイーンの彼女たちの楽屋話、痴話喧嘩、芸術に対する考え方、メイクアップ、本当の幸せまで、色濃くこの作品には写り込んでいます。
しかも、それこそがブラジルが独裁制から民主制や自由になっていく土壌にあったというのだから、本作は切り方によって、まさにレインボーカラーに見えてくる作品なのです。
まとめ
60年代の軍事独裁政権下のブラジルというだけでも困難だった時代。困難な社会情勢のなかに生きた性的少数派のドラァグクイーン。
彼女たちは女装芸能の才能を披露することで、“自分らしく生きる道を選んだ”という理由と生き様を見つめる110分!
リオ・デ・ジャネイロのヒバル・シアターで、当時活躍した8人のデビュー50周年を記念して再結集した勇姿は果たして見ることができるのか⁈
パフォーマンスの舞台から遠ざかっていた彼女たちが、久々のライブの舞台裏で悪戦苦闘しながらも、ステージで自己存在を昇華させる勇敢な表と裏の記録とは⁈
そして女優として活躍するレアンドラ・レアルが、かつて少女だった頃に見たディーバという、花を再び咲かせて見せてくれます!
ドキュメンタリー映画『ディヴァイン・ディーバ』は、2018年9月1日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿ほか全国順次ロードショー。