第32回東京国際映画祭「コンペティション」部門上映作品『ディスコ』
2019年にて32回目を迎える東京国際映画祭。令和初となる本映画祭がついに2019年10月28日(月)に開会され、11月5日(火)までの10日間をかけて開催されます。
そのコンペティションで、その内容で北欧諸国に大きな衝撃を与えた映画が、アジアン・プレミアとして上映されます。
その作品こそ、ノルウェーのカルト教団事情を紹介した映画『ディスコ』です。
上映終了後、この映画のヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン監督と、主演のヨセフィン・フリーダ・ペターセンが登壇し、映画制作の舞台裏と自国ノルウェーでの反応について語りました。
CONTENTS
映画『ディスコ』の作品情報
【製作】
2019年(ノルウェー映画)
【原題】
Disco
【監督・脚本】
ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン
【出演】
ヨセフィン・フリーダ・ペターセン、シャスティ・オッデン・シェルダール、ニコライ・クレーヴェ・ブロック
【作品概要】
新興宗教のカリスマ指導者の継娘が、ある出来事から自分の信仰に疑問を抱きます。彼女の姿を通して現在ノルウェーで活動する、様々なカルト教団の実態を描いた社会派映画です。
ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン監督のプロフィール
1978年生まれ。ベルゲン国立芸術デザインアカデミーを卒業後、映画・ビデオアート・写真と幅広く活躍している人物です。
これまで手掛けた作品は、数多くの国際映画祭・上映会・展示会で上映されてきました。
2017年『The Tree Feller(Hoggeren)』で長編映画デビュー、本作が監督第2作目の作品になります。
女優ヨセフィン・フリーダ・ペターセンのプロフィール
1996年、ノルウェー生まれ。2014年にテレビドラマ『TNeste Sommer』で女優としてデビュー。
続いて2015年、テレビドラマ『Skam』に主演し、ノルウェー国内に止まらない幅広いファンを獲得しました。
今後が期待される彼女にとって、本作が初の長編映画主演作となります。
映画『ディスコ』のあらすじ
19歳のミリアムは、フリースタイル・ディスコダンスのチャンピオン。両親と妹と共に完璧な家庭で暮らしていました。
母の再婚相手である彼女の父は、“フリーダム”というキリスト教系の新興宗教の、カリスマ的指導者。ミリアムはその教えに忠実に従い、教団の顔として活躍していました。
ところがある日、彼女はディスコダンス大会のステージで、パフォーマンス中に倒れてしまい、それを機に家族と教団が抱える不協和音に気づきます。
それでも両親は彼女に解決策として、より信仰に忠実に生きるように求めますが、彼女の疑念は膨らむばかり。ディスコダンスでも、本来の実力を発揮することが出来なくなります。
彼女は救いを求め、真の信仰を得ようと、様々な教団の教えに触れていきます。迷える彼女は、心の平穏を得る事ができるのでしょうか…。
映画『ディスコ』の感想と評価
激しく華やかに繰り広げられるフリースタイル・ディスコダンスのパフォーマンス。華麗な世界で舞う主人ミリアムは、一転“フリーダム”の敬虔な信徒の顔を見せます。
彼女の義父が指導者を務めるこの教団は、ニュー・エイジ風に飾り立てられ、音楽や映像で若者を魅了する手法をとっています。虚像で作り上げられたこの世界には、ミリアムでなくとも違和感を覚えるでしょう。
教えに疑問を持った彼女は、親族が運営する新興教団の教えや、よりカトリックに近い古風な教えを謳う教団にも参加します。
迷えるミリアムが教えを求めた教団は、家族的に接してくれたり、大自然に抱かれた環境を提供する、心地良く親し気な態度で彼女を受け入れます。
しかし彼女が心を許すと、それらの教団は神の名の下にマイノリティーを攻撃したり、外部から孤立した環境で過酷な体験を強いる、強圧的な姿勢を露わにします。
観客はミリアムの体験を通して、ノルウェーの新興宗教の活動の実態、メディアに露出し優れたキリスト教信者として振る舞う彼らが、内部で信者を束縛する為に行っている様々な行為を目撃する事になります。
お気づきの通り、これこそがヨールン監督の描きたかったテーマであり、彼女はその為に綿密な取材を行っているのです。
社会的に重要なテーマを告発する映画『ディスコ』ですが、同時にこれは劇映画です。今まで人生に何の疑念を抱いていなかった主人公・ミリアムが、一つの挫折を機に心の平安を失い、何かを求め彷徨う姿をヨセフィン・フリーダ・ペターセンが繊細に演じています。
オープニングシーンと重なるラストでの彼女の姿。私には心の平安は新興宗教の教えの中には無く、大自然に身を委ねるしかない様に感じられました。
上映後の監督と主演女優によるティーチイン
ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン監督
10月30日のマスコミ向けの上映後、ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン監督と、主人公を演じたヨセフィン・フリーダ・ペターセンが登壇、記者会見を行うとともに、会場に訪れた観衆からのQ&Aに応じました。
──この作品のカルト教団の描写には、ドキュメンタリーのような迫力がありました。これはどれくらい現実に近い話なのでしょうか?
ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン監督:(以下、ヨールン監督)かなり、リサーチを重ねてから、本作の脚本を書きました。以前からカルト教団の存在は知っており、いろんな信者から体験を聞いています。私はこの作品を通して現在の、ノルウェーのキリスト教文化というものを、広範囲に描きたかったという思いがありました。
登場するモダンなスタイルの教団の描写は、脱退した元信者の証言を聞き様々なドキュメンタリーを見て、私自身もいろんな集会に顔を出した上で描きました。
最初に出て来る教団は、アメリカの新興宗教にインスパイアされて出来た宗派を、2つ目の団体はテレビで説法をする団体を模して作っています。最後に登場する教団については、完全にフィクションの教団を描いています。しかし、実際に起こった出来事については、現実に基づいて描きました。
──ヨセフィンさんがこの役を引き受けるには、ダンス以外にも大変だったと思いますが、どの様な思いで引き受けられましたか。
ヨセフィン・フリーダ・ペターセン:(以下、ヨセフィン)今回は非常に難しい役だろうという事にやりがいを感じ、あえてそれに挑戦してみようと思いました。
体力的にも肉体的にも、精神的にも非常に困難だろうと思いながらこの役に挑みました。ヨールン監督が要求する演技にも興味がありましたし、監督が伝えたいメッセージにもとても魅力を感じました。その上で一番魅力を感じたのは、素晴らしいヨールン監督と一緒に仕事が組めるということです。
──映画の内容に対して、カルト教団や信者の方からの反発があったと思いますが、映画を作った後の影響について教えて下さい。
ヨールン監督:公開後に全国紙や、キリスト教系の新聞にも取り上げられました。また、同じ様な経験をした方から、映画を見た後に感謝の言葉を頂いた事もありました。
この映画に対する批判としてまずあったのが、「この映画で描いている問題は、極少数派であって構造的な問題ではない、個々人の問題に過ぎない」と矮小化する意見でした。
往々にして言われたのが、「この映画には、キリストが伝えようとしたメッセージが何ら描かれていない」との批判でしたが、それこそが私の描きたい事でした。むしろ宗教団体の組織のあり方や、物事の運び方にこそ、キリスト教のメッセージがない、と私は感じています。
多くのテレビにも出演して、様々な宗教団体の方とパネルディスカッションもしましたが、やはり気になるのは、教団のあり方について核心を突こうとしない、その議論をはぐらかす姿勢でした。より極端な宗教団体になると、ディベートどころか、ネットに映画に対するヘイトを書き立てるという状況でした。
女優ヨセフィン・フリーダ・ペターセン
──ヨセフィンさんは、映画を通じて宗教や信仰心に対する考え方に、何か影響を受けましたか?
ヨセフィン:特にキリスト教に対する信仰心が変わった、という訳ではないのですが、少なくとも言えるのは、この体験を通して学んだという事です。
ノルウェーのキリスト教社会に、新たな発見がありました。実際に出演が決まってから、監督と日曜の宗教の集会に出かけたりしましたが、こんなにいろんな宗派があったんだ、という事に驚きました。
多くの牧師さんや信者、この映画に出てくるような体験をした元信者の方とも話し、このような問題が存在する事を意識するようになりました。この映画はノルウェーのおける、社会や宗教の文化をテーマを掲げて、更に問いを呈した重要な作品だと思っています。
──主人公が宗教団体に入り、思いもかけぬ様々な体験をする訳ですが、これらのシーンは計算して演出されたのか、それともハプニングを求め、即興的に演じさせたものでしょうか。
ヨールン監督:撮影に臨む大前提として、キャストの皆さんには脚本を読み込んで来てもらいます。かといって、全てのシーンをセリフ通りやらせるのではなく、その時に湧いてくる、その空間にある物を上手く映画に取り込むようにしています。
カットすべき後に役者がアドリブを行ったり、脚本からの逸れたりする訳ですが、そこから出てくるエネルギーはより増していくので、カメラを回し続けてその場の演技を生かす事もあります。
ヨセフィンは実に真実味のある演技をしてくれて、また感情表現の幅が本当に広い方です。彼女と仕事が出来て本当にラッキーだと思っています。
ヨセフィン:最後に危険な体験をするシーンがありますが、これは実際に、とある宗教団体の信者が体験した事を再現したものです。
このシーンの撮影は、信者の体験を再現するためにも、安全面でも綿密に計画されたものでした。私がこの単語を叫んだら撮影を中止するという、セーフワードを決めた上で撮影に臨みました。でも、このシーンの撮影が一番楽しかったとは、とても言えません(笑)。
──映画の中に誰もが知っている、有名な宗教絵画を思わせる場面がありますが、その意図を教えて下さい。
ヨールン監督:あの絵画をモチーフにしたシーンを作ったかというと、これはあくまでもフィクションの映画ですよ、という事を暗に示す為の手段でした。どんなシーンを撮影するにも、そこには個別の小世界があり、様々シンボリズムを使って、ストーリーを先に進めていく事が面白いと思っています。常々それを意識して映画を撮っています。
『ディスコ』というタイトルも、観客に対する表面的な入り易さを意識して付けました。ところが実際に映画の中に入ってみると、ダークな所に行く物語であった、と体験させるあやでした。
フリースタイル・ディスコダンスを登場させているのも、キリスト教信者から見た彼らの世界観を体現するものです。信者たちから見たディスコの世界は、まさに彼らから見た世俗的な世界です。そういったつもりでディスコダンスを描きました。
まとめ
カルト教団の実態を描いた映画『ディスコ』。このテーマをリスクを背負ってまで追求した、ヨールン監督の執念が実を結んだ作品です。
同時に監督が、映画の1シーンを撮る為にどれだけのリサーチを行い、意図を込めて綿密に計画した上で、撮影現場で起きる出来事を取り込もうとする姿勢に、改めて気付かされました。
ヨールン監督がQ&Aで見せた、知的で誠実な姿がそのまま映画に反映されている作品です。
カルト宗教に対して関心を持つ方には必見の映画ですが、社会的なテーマにフィクションである劇映画が、どの様に向き合う事が出来るかを教えてくれる作品でもあります。
時にはフィクションの方が、現実を力強く追及する事が出来る。その事実に気付かされました。