『ミッドナイトスワン』を観た今、オススメしたいLGBT映画の入門編5選
近年劇場公開される多くの映画において、LGBTという言葉と存在は、作品の主題に掲げた上で発議を打ち出すことに偏るのではなく、男性と女性の性差や人種の違いと同じように扱われる傾向が強まっています。
“すべての人類に対する問い”、“個人に対する問い”という、人間のあり方を見せる登場人物のキャラクターとしてのモチーフのひとつとして描かれるようになりつつあるのです。
2020年9月に劇場公開された『ミッドナイトスワン』も、草彅剛が演じた主人公の凪沙はトランスジェンダーの女性であり、確かに彼女自身の出生にまつわる悩みは深く大きいものなのですが、「登場する人物たちそれぞれにも、同様の悩みを抱えながら生きていた」とも、同作をご覧になられた方は感じ取れるはずです。
今回は『ミッドナイトスワン』を鑑賞したことで、LGBT映画に興味を持たれた方への入門編として、同様のモチーフや共通するテーマが垣間見える作品たちをご紹介いたします。
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そもそも「LGBT」とは?
「LGBT」とは、レズビアン(女性同性愛者:Lesbian)、ゲイ(男性同性愛者:Gay)、バイセクシュアル(両性愛者:Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の、頭文字をとった「セクシュアルマイノリティ」の総称。
一方で「セクシュアルマジョリティ」と総称される、異性にのみ惹かれるヘテロセクシュアル、生まれた時から身体の性と心の性が一致しているシスジェンダーがいます。
異なる性のあり方は、異常でもなければ病気でもない、ひとり一人の性のあり方であり、決して治療を必要とするものではありません。
しかし文化や宗教、社会制度などの様々な要因から、いまだ誤解と偏見が数多く存在しているのも現状です。例えば2018年公開の映画『ある少年の告白』は、19歳の青年ジャレッドがゲイであること知った両親が、信仰する宗教団体が支持した同性愛者の「転換」プログラムに息子を預けてしまうという物語。そうした誤解と偏見を主題とした問題作も制作されています。
もちろん、LGBTであることは「悪」などでもありません。そもそも「セクシュアルマイノリティ」という呼称で誤解しがちですが、実際には11人に1人(8.9%)はそうであると言われているのです。
LGBTを初めて描いた映画:『太陽がいっぱい』(1960)
映画評論家である淀川長治いわく「ゲイ映画史の最古」とされる作品が、パトリシア・ハイスミスの小説『The Talented Mr. Ripley(邦訳:才人リプリーくん)』を映画化した『太陽がいっぱい』(1960)。
ルネ・クレマン監督のサスペンス映画の代表作であり、ニーノ・ロータの音楽による主題曲もヒット。主演を務めた20世紀の2枚目スター、今でいうイケメン俳優アラン・ドロンの出世作でもあります。
その後遅れてハリウッドでも、特に1960年代後期から70年代にかけてムーブメントとなったアメリカン・ニューシネマでも『明日に向って撃て!』(1961)や『真夜中のパーティ』(1970)、『狼たちの午後』(1975)などLGBTは映画で描かれるようになりました。
直接的あるいは間接的であれ、映画とともにあったLGBT。それはいつの時代も、あるいは制作者のなかにも苦悩を生きた人々がいたという証でもあります。そこでLGBTに偏見を持つことがないように、LGBT映画を観ることで何かが感じるものはあるのではないでしょうか。
近年であれば、2015年の『リリーのすべて』『キャロル』、2017年の『BPM ビート・パー・ミニット』などもありますが、本記事では少しだけマニアックかもしれないものの、『ミッドナイトスワン』を観たからこそなお楽しめるLGBT映画をさらにご紹介していきます。
遠くて近い「美しさ」へ憧れる:『ベニスに死す』(1971)
映画『ベニスに死す』の作品情報
【日本公開】
1971年(イタリア・フランス合作)
【原作】
トーマス・マン
【監督】
ルキノ・ビスコンティ
【キャスト】
ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレセン、シルバーナ・マンガーノ、マリサ・ベレンソン
【作品概要】
トーマス・マンの同名小説を『山猫』『ルードヴィヒ/神々の黄昏』などで知られるルキノ・ビスコンティが映画化。ビスコンティ監督による「ドイツ三部作」の二作目にあたる作品でもあります。
原作での主人公アッシェンバッハの職業は作家でしたが、映画化際しビスコンティ監督は作曲家のグスタフ・マーラーをモデルとしました。映画でもマーラーの「交響曲第5番」「第3番」の楽曲が使用され、アッシェンバッハを魅了した美少年タジオを演じたビョルン・アンドレセンの存在感は世界中を圧巻しました。
映画『ベニスに死す』のあらすじ
夕陽に照らされた海の上を黒い煙を上げ走る観光船。船には中折れ帽にマフラー、眼鏡姿の老人が乗船していました。
彼はドイツの名立たる作曲家アッシェンバッハ。弱っている自らの心身の静養を目的にベニスへと向かっていました。
水の都ベニスは美しい海辺と、歴史的モスクの建造物、高級ホテルには多くの貴族や著名人が休暇に訪れる観光地。ホテルに着いたアッシェンバッハはその夜、人生を覆すほどの出逢いを果たします。
それは美しい少年タジオ。艶のある緩やかなウェーブのブロンドの髪、綺麗な二重の目、ふっくらと赤みの帯びる唇、しなやかな立ち振る舞い。周囲にいたどの女性達よりも美しく、「美」そのもののようでした。
アッシェンバッハは、タジオから目が離せずにいると……。
「美しき者」を見つめ続けた主人公たち
映画『ミッドナイトスワン』をご覧いただいた方で、LGBT映画を知る方であれば誰もが、映画史に残る名作であり、LGBT映画としての一面も持つ『ベニスに死す』を思い起こしたのではないでしょうか。
無論、描かれた物語の設定には違いがあります。しかし、『ミッドナイトスワン』での草彅剛演じる凪沙は、海外のバレエ留学が決まった一果と再会を果たした際には心身ともに衰弱、幻覚を見るほど容体は悪化していました。
その中で凪沙は一果に「海へ行きたい」と懇願。彼女の願いを聞き入れた一果は、バスで海辺へと向かうのです。
「衰弱し病の中にある主人公」「海辺」「美しき者(ここでは一果、あるいは幼き日の“少女の凪沙”)」。これらの要素を連想していくうちに、美の探求者であるアッシェンバッハが、美少年タジオを思いながら旅立つあの名場面が脳裏に過ぎった方もいるはずです。
『ミッドナイトスワン』をきっかけに、『ベニスに死す』をご覧いただくのはいかがでしょう。
LGBTとして生き、働く:『プリシラ』(1994)
映画『プリシラ』の作品情報
【日本公開】
1995年(オーストラリア映画)
【脚本・監督】
ステファン・エリオット
【キャスト】
テレンス・スタンプ、ヒューゴ・ウィービング、ガイ・ピアース、ビル・ハンター
【作品概要】
オーストラリアの雄大な地形を舞台に、3人のドラァグクイーンがそれぞれの愛を求めて旅するロードムービー。『コレクター』のテレンス・スタンプ、「マトリックス」シリーズのヒューゴ・ウィービング、『L.A.コンフィデンシャル』のガイ・ピアースの3人が女装姿のユーモラスなキャラクターたちを演じており、ドラァグクイーンとして最高のパフォーマンスを披露するステージの場面は見どころのひとつ。
また撮影のため制作された独創的な衣装ドレスは、第67回アカデミー賞にて衣装デザイン賞を受賞したほどに評価されました。
映画『プリシラ』のあらすじ
バイセクシュアルのミッチ、すでに性転換を終えたバーナデット、若く何かと騒々しいフェリシアは、シドニーで生活を続けているドラァグクイーン。
3人はオーストラリア中部の砂漠にあるリゾート地でショーを行うため、入手した中古のバスに「プリシラ号」と名付け、3千キロという長旅のステージツアーに出ます。
「プリシラ号」に乗った3人は、道中で様々な出会いやトラブルに遭いながらも、目的地を目指すはずでしたが……。
「仲間」と働く意味と「親」としての悩み
映画『ミッドナイトスワン』での凪沙の仕事は、ゲイバーでのステージショーの演者でした。もちろんゲイバーですので、飲酒に訪れた接客業も彼女の仕事でした。
しかし、凪沙にとっては同僚の仲間たちと一緒に「白鳥の湖」を踊ることこそ、自身にとって自由に楽しめていた時間であったのではないでしょうか。また、同じ境遇の仲間たちと支え合い連帯感を保つための大切な繋がりのひとつであったはずです。
ただLGBTとして生き、働く時、ゲイバーで働くことやステージに立つことはあくまで一つの手段であり、それは誰もができることではないのも否定できません。
だからこそ、映画『プリシラ』で描かれたドラァグクイーンたちの仕事ぶりは必見です。彼女たちの振り切り方は豪快ですし、映画として楽しめるオススメの作品です。そして同時に、LGBTゆえの悩み、特に「親」としての悩みもしっかりと描かれている作品でもあります。
自己存在の模索:『ナチュラルウーマン』(2018)
映画『ナチュラルウーマン』の作品情報
【公開】
2018年(チリ・アメリカ・ドイツ・スペイン合作映画)
【原題】
Una Mujer Fantastica
【監督】
セバスティアン・レリオ
【キャスト】
ダニエラ・ヴェガ、フランシスコ・レジェス、ルイス・ニェッコ、アリン・クーペンヘイム、ニコラス・サベドラ
【作品概要】
『グロリアの青春』で知られるセバスティアン・レリオ監督が、愛しいパートナーに先立たれたトランスジェンダーの女性の孤独と周囲から受ける差別から立ち直るまでの姿を描いた作品。
第90回アカデミー賞では外国語映画賞、第67回ベルリン国際映画祭最優秀脚本賞などを受賞。主人公のマリーナ役を、自身もトランスジェンダーである歌手のダニエラ・ベガが演じています。
映画『ナチュラルウーマン』のあらすじ
チリの首都サンティアゴに暮らしているトランスジェンダーのマリーナ。彼女は昼間ウェイトレスとして働きながらも、夜にはナイトクラブでサルサやメレンゲの楽曲を歌う歌手として活動していました。
彼女は父親ほどに年の離れた恋人のオルランドと暮らし、その日は中華料理店でマリーナの誕生日を祝っていました。テキスタイルの会社を経営しているオルランドが、マリーナに手渡した封筒を手渡すと、彼女は「古風ね」と喜びの声を漏らします。
その封筒中身のプレゼントは、オルランドが書いた「イグアスの滝へ行ける券」でした。
「サウナに行った時にはチケットはまだあった。置き場所を忘れた」というオルランド。そんな彼に「かわいそうなおじいちゃん」と、肩越しに腕をまわし、優しくキスをするマリーナ。
仲睦まじい2人は一緒に暮らす自宅に戻ると、サンディエゴの夜景を見ながらも互いの身体を重ねます。そして共に枕を並べるベッドに座り込んだオルランドでしたが、やがて体調が優れないと訴え始めます。
マリーナはオルランドを着替えさせた後、自宅の玄関先に待たせます。ところが、勝手に歩き出したオルランドは階段から転げ落ち、頭部を打ち付けて怪我を負ってしまいます。
マリーナは急いでオルランドを車に乗せ病院に連れて行ったものの、彼は動脈瘤によって息を引き取りました。気が動転し泣きじゃくるマリーナは動揺のあまり、いったん病院を離れてしまいます。
その後、マリーナが働くレストランに、性犯罪捜査班の女性刑事コルテスが訪ねて来て…。
「自分のため」と「誰かのため」の狭間で
草彅剛演じる凪沙と一果の心が通じ始めるきっかけは、バレエ教室におけるライバルであり、一果の唯一の友人りんとの「裏バイト」でのトラブルから始まります。
りんの母親から自身の育ちにまつわる偏見と侮辱に満ちた言葉を浴びせられ、ひどく傷ついた一果を「今夜は一人に出来ない」と職場へ連れて行き、凪沙たちの踊るバレエを見せた場面は記憶にあるでしょう。
その後、酔っ払い客から凪沙たちのバレエ姿をヤジられた時に、その場の雰囲気を一転させたのは、同じステージで一果の踊るバレエの姿であり、誰もを魅了する才能でした。これをきっかけに凪沙の母性は奮い立ちます。
その後は、劇中で「落ちていく」と形容される風俗の仕事を元同僚に紹介してもらい、「一果の好きなバレエを続けさせるためならば」と一旦は働こうとしたのですが、どうしても受け入れることができませんでした。
ついには長く伸ばした髪を切り、男装をして力仕事も始めますが、これも長続きはしません。そこまで自己を傷つけてまで、働くことの理由は何でしょう?
自分が生きていくためでなくなった場合、どのように「均衡」が保てなくなるのか。また「均衡」を崩してまで貫こうとするその思いは真に母性なのか、あるいは自らのエゴなのか……それがどちらなのかは定かでありませんが、悩み苦しみ続けた凪沙は結果的に、一果を失うことになります。
『ミッドナイトスワン』と『ナチュラルウーマン』では、失ってしまう対象や状況も異なります。しかし、喪失したもの思い続けながらも、それを埋めようと生きる姿。その中で「自己」という存在はどのように変化していくのかが描かれている点は共通しています。
きっと、「愛」と「人」の間には差異がないことに気がつかれるのではないでしょうか。
親心を寄せた:『チョコレートドーナツ』(2014)
映画『チョコレートドーナツ』の作品情報
【公開】
2014年(アメリカ映画)
【原題】
Any Day Now
【監督】
トラヴィス・ファイン
【キャスト】
アラン・カミング、ギャレット・ディラハント、アイザック・レイヴァ
【作品概要】
1970年代のアメリカ・ブルックリンでの「母親に育児放棄された障がいを持つ子どもを、ゲイの男性が“家族”として育てようとした」という実話を基にしており、脚本家ジョージ・アーサー・ブルームがその実話に登場する男性と偶然出会ったのをきっかけに本作の脚本執筆をスタート。完成した脚本をトラヴィス・ファイン監督が映画化しました。
またドラァグクイーンのルディを演じるアラン・カミングは、自身がバイセクシュアルであることを公言しており、女性と8年間の結婚生活を送った後に同性のパートナーと結婚しています。
映画『チョコレートドーナツ』のあらすじ
1979年のカリフォルニア・ロサンゼルス。歌手を夢見ながらも、ゲイバーでショーダンサーとして日銭を稼いでいるルディ。彼女は女装してリップシンクで歌を披露するドラァグクイーンとして、毎晩店を盛り上げていました。
ある晩ルディは、ゲイであることを隠しながら検事局で働いているポールと出会います。彼は正義を信じて世の中を変えようと努めており、二人はすぐに惹かれ合い恋に落ちました。
ある日、ルディはアパートの隣室に暮らすダウン症の少年マルコと出会います。
薬物依存症の母親が逮捕され、施設に連れて行かれるマルコ。それでも脱走を繰り返している彼の姿に見たルディはポールを説得し、同性愛者の恋人同士であることを伏せた上でマルコの監護者となる法的手続きを行い、彼を家へ引き取ります。
ルディとポールは本当の親のようにマルコへ愛情を注ぎ、3人は「家族」としての日々を送ろうとします。しかし、同性愛に対する偏見が渦巻く中で、3人の思いが世間に受け入れられることはありませんでした。
偏見が引き起こす無理解、そしてルディとポールが法的手続きにあたって「同性の恋人」という関係性を伏せていたことも相まって、二人はマルコから引き離されてしまいます。
やがて彼らは裁判を通じて、マルコを取り戻すための闘いを始めますが……。
無理解と偏見がもたらす残酷さ
先にも述べたように、『ミッドナイトスワン』の主人公である凪沙は一果の踊るバレエを見たことで、彼女に対する母性を抱きながらも一果の才能にのめり込んでいきます。
それまで「自分のため」を第一としていた生活にキッパリと見切りをつけ、部屋の片付けや掃除、また栄養に配慮した食事の世話までも甲斐甲斐しく行うようになります。その変わり様は、凪沙が一果との関係から「幸せ」を見出したこと、そして「依存」と言い換えられるほどの危うい愛情と母性を一果に対し抱いていることを示しています。
その幸せとある種の依存関係は、より処が無いもの同士の深い絆となっていきました。
しかし二人の生活を終わらせたのは、一果の実の母親である早織でした。そして凪沙の一果に対し注いできた愛情と母性も、「実の娘が連れていかれる」と危機感を抱いていたとはいえ、「このバケモンが」という早織の心ない言葉によって打ち砕かれます。それは同時に、「母」として一果と過ごした幸せな日々が、ただの「ごっこ遊び」でしかなかったと凪沙に突きつける言葉でもありました。
無理解と偏見が、「他者に寄り添うことも、思いを寄せることも許されない」という現実を突きつけ、その幸せを無情にも崩壊させていく……その苦悩は、物語や設定は違えど『チョコレートドーナツ』の作中でも描かれており、無理解と偏見がやがて生み出す「残酷」な行く末をも描いた作品でもあります。
『ミッドナイトスワン』が好きであれば、おそらく『チョコレートドーナツ』も涙なくしては観られない映画のはずです。
まとめ
今回ご紹介したLGBT映画は、ほんの一部にすぎません。
例えば、1990年代にはガス・ヴァン・サント監督の『マイ・プライベート・アイダホ』(1991)、アン・リー監督の『ウエディング・バンケット』(1993)、トッド・ヘインズ監督の『ベルベット・ゴールドマイン』(1998)などの名作が登場します。
また2000年代以降に入ると、再びアン・リー監督の代表作となる『ブロークバック・マウンテン』(2005)、グザヴィエ・ドラン監督の『マイ・マザー』(2009)や『わたしはロランス』(2012)も次々と世に送り出されていきました。
一方で日本映画では、木下恵介監督へ強いリスペクトを持った橋口亮輔監督がいます。1993年の『二十才の微熱』、1995年の『渚のシンドバッド』、2001年の『ハッシュ!』と瑞々しい才能を見せつけてくれました。
草彅剛主演の映画『ミッドナイトスワン』を鑑賞したことで、LGBT映画に興味を持たれた方にはぜひ、本記事を通じて、これまでにも制作されてきた共通のテーマ・モチーフの作品にも興味を持っていただけますと幸いです。そして様々な作品の鑑賞を続けていく中で、ご自身の他者に対する理解を深められていくことを何よりも願っております。
映画に登場したその人物が「セクシュアルマイノリティ」あるいは「セクシュアルマジョリティ」であっても、光と陰の交わりによってそこに映し出されるのは、ひとりひとりの人間の喜びや悲しみ、「人生」という感情のリアクションの連続なのですから。