映画『名付けようのない踊り』は2022年1月28日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9、Bunkamuraル・シネマ他にて全国公開。
1966年からソロダンス活動を開始し、1978年にパリ芸術祭で海外デビューしたのをきっかけに、世界中のアーティストとコラボレーションをしてきたダンサーの田中泯。
『メゾン・ド・ヒミコ』(2005)への出演オファーをきっかけに彼と親交を深めてきた犬童一心監督が、2017年8月から2019年11月にかけて田中泯の踊りを撮影し続けた作品が『名付けようのない踊り』です。
ポルトガル・パリ・東京など3ヶ国33ヶ所で披露された踊りは、どれも同じものはなく、独特の世界観を醸し出しています。
このたび犬童監督にインタビュー取材を敢行。この作品を撮るきっかけとなった思い、田中泯さんの踊りについて語っていただきました。
CONTENTS
「居ることを一生懸命できる」と語る田中泯
──本作を撮ろうとしたきっかけを教えてください。
犬童一心(以下、犬童):(田中)泯さんが、ポルトガルのアートフェスティバルで踊るので一緒に行かないかと誘ってくださいました。たくさん踊るとおっしゃっていたので、せっかくなら撮影したいと考えたんです。
泯さんは、僕が以前監督した『メゾン・ド・ヒミコ』(2005)に出演していただいているのですが、出演をお願いした際「自分は、演技はできないけれどその場所に一生懸命居ることはできる。それでいいか?」とおっしゃいました。
「居ることを一生懸命できる」という言葉が、その時にすごく印象に残ったんです。それがどういう意味なのだろうか、と思ったこともきっかけの一つになったかもしれません。
──「居ることを一生懸命できる」とは、確かに印象的な言葉ですね。撮影を通じてその意味はお分かりになりましたか?
犬童:ポルトガルで撮影した泯さんの踊りを、最初は映画にするつもりはありませんでした。ただ撮影したものを15分ぐらいの映像に編集をした時に、すごくいいものができたんです。その瞬間に「一生懸命に居ることならできる」と泯さんがおっしゃっていた意味を少しだけ感じることができました。
撮影は一発勝負
──本作では、自然と調和して踊る泯さんがとても印象的でした。自然の中で踊ることへのこだわりはあったのでしょうか?
犬童:ポルトガルで撮影する時は、曲をかけてこういう踊りをするとあらかじめ決めて泯さんが踊ったことは1度もありませんでした。私たちは二人で場所を見て、泯さんが「ここで踊りたいな」と言って、それを自分が撮っているだけなんです。
しかも場所を決めてからすぐに撮影するので、泯さんは計画的にダンスの振り付けを決めて踊っているわけではありません。
泯さんが言っていた「そこに居る」ということが、どういうことかと考えた時に、先ほど自然と調和して踊っているとおっしゃいましたが、それは外の世界と自分の内側の世界が一つになるということだと思うのです。外の世界も自分の内側にあるし、自分の内側も外の世界に広げていくことができる……みたいな。
そういうことを泯さんは一生懸命しているのかもしれないと考えたりしますが、泯さん自身に真意を確かめたことは一度もありません。
山や海という自然は、外にあるように見えるけれど、実は自分の内側にもある。人間の身体も基本的には自然の中の一部だということですよね。文明や社会によってつい忘れがちになりますが、泯さんは踊る時そういったものを取っ払っているのだと思います。
──泯さんは、振り付けを考えて踊るわけではないということですが、そこには「一発勝負で撮る」という大変さもあったのではないでしょうか。
犬童:一発勝負で撮影するという意味では苦労したことはあまりないですね。ただ、泯さんがどのように踊るのかは分からないので、その場所でどう撮るかということは懸命に考えていきました。
どう踊っても、この場所と泯さんとの関係がきちんと撮れるフレームはここだ、みたいなことをまず決めるということと、ずっと同じカメラマンが撮るわけではないのですが、カメラをのぞきながらカメラマン自身の身体もきちんと泯さんの踊りについていく必要がありました。自分自身も泯さんと一緒に踊っている気持ちになって撮影をするわけです。
その結果として撮影できたものがある……という風にならないといけない。「いいフレームで」ということばかり考えているとダメなんですよね。泯さんが「そこに居る」ことを大事にしているわけだから、「居る」ということをきちんと考えないといけない、カメラも踊らないといけない。
これまでで一番時間をかけた編集作業
──本作を作る上で、一番時間をかけたこと、大変だったことは何でしょうか?
犬童:この映画は、編集で一番苦労したと思っています。僕が作った映画の中で、一番長い時間を編集に費やしました。泯さんのダンスや泯さんが農作業をして動いている身体を編集していると、不思議なことにその間に入れた自然の風景、例えば風で木が揺れる場面、波が繰り返し打ち寄せてくる景色すべてがダンスに見えてくるんです。
ですから作品の冒頭で波が出てきますが、その時は音楽にのっているただの波に見えるかもしれないけれど、ラストで泯さんが波打ち際を歩いている場面では、最初の波と違うように見えているんじゃないかと思います。
先ほども言いましたが、本来人間も自然の一部だし人間の身体が特別ということはありませんから、本来自然とはフラットな関係ということです。泯さんは早い時期にそのことに気付いていたように思いますね。
──だから泯さんは、山梨県で農業をしながら土に触れる生活をしていらっしゃるのでしょうか?
犬童:そうですね。泯さんは「踊り」というものが、振付師がいて音楽に乗せて踊ることだという幅の狭いものに集約されてしまうことが嫌だったのだと思います。踊りを狭い考え方でとらえると、最終的には「どれが一番稼げる踊りなのか」ということになりかねないですから。
そういうものから離れて、本来人間が踊っていた始まりのところに戻るにはどうしたらいいか。それは泯さんが自身の師である土方巽さんに出会うことで気がついたんでしょうね。
泯さんがやっているのは即興のダンスだから、感覚で踊っているように見えるかもしれないけれど、実はものすごく具体的に言語化して考えた上で挑み踊っているんです。
踊りは本来こうだったのではないか……と考えて、それを踊るためには何でつくった身体が一番いいのかと考えた時に、土に一番近いところで作った身体、つまり農業で出来上がった身体で踊るのが本来の踊りに近づけるのではと考えたのでしょう。
作品にアニメーションを入れた理由
──本作で、山村浩二さんのアニメーションを取り入れたのはなぜですか?
犬童:泯さんの踊りは長いので30分から2時間ぐらいまであります。それをいろいろな国や場所で30ぐらい撮っていますが、僕は最終的に一本の映画を通じて、田中泯の踊りを一つ観た感覚になれるような作品を作りたかったんです。
作品の中で、泯さんのいろいろな踊りを見せて「田中泯さんの踊りはこんなにいろいろなことをやっていて、こうなんです!」と説明する場面はゼロですし、もしそういう機会があったとしても、そのように紹介されてもつまらないですよね。
だから僕が泯さんの踊りに対して感じたこと、例えば泯さんに「ここで踊る」と言われてその場所へ行って、そこにいろいろな人がいて、泯さんが登場して踊って、踊ったあとに泯さんと話をして、帰りますよね。その時間の中で僕が感じたことも含めて、一本の映画に再現しようと思いました。
実は泯さんの踊りを見ている最中、僕は目を閉じていることもあるし、別のことを考える時があります。そうしたことを経て、また泯さんの踊りに戻ってくるわけです。だからこの作品も、一つのストーリーで連続しているよりも「外れて戻る」感じを上手く作りたいと考えました。
でも泯さんの踊りだけで作品を作ると、そういう感じにならないんですよ。そこでアニメーションを入れることで、違う世界へ行ってまた泯さんの踊りに戻るという、僕が経験している雰囲気を作れないかと思ったのです。
そして、泯さんがご自身の本の中でもおっしゃっている「私のこども」という言葉が核心をついていると思いましたし、泯さんは土方さんという「マスター(師)」がいる方です。マスターを持たないまま生涯を終える人がたくさんいる中で、泯さんがマスターを持っている人だというのは、重要だと思いました。ですから「自分の子ども」「マスター」の2つを映画の軸にしてまとめるのがいいと思いました。
この作品こそが、泯さんとの間に生まれた新たな踊り
──監督が泯さんに共感するのは、なぜだと思いますか?
犬童:泯さんと一緒にいていいなと思うことの一つは、泯さんという人は、何かのアンチではないところです。そこに生まれたものは本当に必要なことをやった結果です。何かに対抗するために、泯さんはそれをやるわけではないのです。
アンチになるということは、相手をくみ取ってしまう必要が出てきます。つまりアンチでいることに縛られてしまうんですよね。だから「これをやったらアンチじゃなくなっていくんじゃないか」と考えてしまいます。でも最初からフラットな関係でいれば、その中で自分がやらなければならないことを選択しているだけですからね。
僕も同じようなところがあるから、見ていて泯さんのことを自然に受け入れられるのかもしれません。
──本作を観られる方に、どのようなことが伝わればいいと思いますか?
犬童:先ほど泯さんはマスター(師)がいる人だと言いましたが、今度は泯さん自身が映画を観た方にとってマスターの役割に立たないかなということですね。それは若い人だけでなくあらゆる世代に向けてそうなれば……と思っています。
例えば、僕はこの間会社を定年になったのですが、世の中には「定年になってこれからどうしよう」と考えている人もいますよね。そういう人にとって泯さんが日々やっていることが指標になるかもしれない。
10代の子が見ても、泯さんが若い頃に「裸になってパリへ行った」という行動は一種の冒険です。冒険をするということがどういうふうに作用して今の泯さんになったのか、見る世代や立場によって、泯さんをマスターと感じる人が出てくるかもしれません。
そういう意味で、作品の中で泯さんのモノローグを入れていく時に、マスターが話しているように聞こえるようなスタイルにして作ろうと思いました。泯さん自身はマスターになりたいとは全く思っていないと思いますが(笑)。
──泯さんは自分と踊りを見てくれる人の間に、新たな踊りが生まれるとおっしゃっています。監督との間にはどんな踊りが生まれましたか?
犬童:この作品がまさにそうですね。泯さんの踊りを完全にバラして、僕の思う踊りを作り上げましたから。踊っているのは泯さんですが、30ぐらいの踊りを全部断片にしてつなげているので、できあがったものは僕の思う踊りかもしれません。
インタビュー・撮影/咲田真菜
犬童一心プロフィール
1960年生まれ。高校時代より自主映画の監督・製作を始める。大学卒業後はCM演出家として、数々の広告賞を受賞。
1997年『二人が喋ってる。』で長編映画監督デビュー。『眉山 びざん』(2007)『ゼロの焦点』(2009)『のぼうの城』(2012)で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞する。
主な監督作は、『ジョゼと虎と魚たち』(2003)『メゾン・ド・ヒミコ』(2005)『グーグーだって猫である』(2008)『猫は抱くもの』(2018)『引っ越し大名!』(2019)『最高の人生の見つけ方』(2019)など。
映画『名付けようのない踊り』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【監督・脚本】
犬童一心
【キャスト】
田中泯、石原淋、中村達也、大友良英、ライコー・フェリックス、松岡正剛
【作品概要】
『ジョゼと虎と魚たち』『のぼうの城』の犬童一心監督が、世界的なダンサーとして活躍する田中泯の踊りと生き様を追ったドキュメンタリー映画。
どんなジャンルにも属さない田中泯のダンスを、『メゾン・ド・ヒミコ』から親交を重ねてきた犬童一心監督がポルトガル・パリ・山梨・福島などをめぐり撮影。アカデミー賞ノミネート作『頭山』で知られる山村浩二によるアニメーションで描かれた田中の子ども時代の情感を交えながら、田中泯のぶれない生き方をひも解いていきます。
映画『名付けようのない踊り』のあらすじ
少年のように「心が踊る瞬間」を生きる田中泯。
ダンスに魅せられた生涯が、犬童一心監督と世界的アニメーション作家・山村浩二によって紐解かれていきます。
ダンス×アニメーションが生む至福のグルーヴ。
田中泯のダンスに誘われて旅する感覚に浸る、
五感を研ぎ澄ます120分の映像体験が始まります。
執筆者:咲田真菜プロフィール
愛知県名古屋市出身。大学で法律を学び、国家公務員・一般企業で20年近く勤務後フリーライターとなる。高校時代に観た映画『コーラスライン』でミュージカルにはまり、映画鑑賞・舞台観劇が生きがいに。ミュージカル映画、韓国映画をこよなく愛し、目標は字幕なしで韓国映画の鑑賞(@writickt24)。