映画『おもかげ』は2020年10月23日(金)からシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかで全国ロードショー。
ある日突然、息子が失踪してしまった女性の10年後を描いた映画『おもかげ』。
スペインの新鋭ロドリゴ・ソロゴイェン監督が自身5作目の長編映画として、2017年に製作した15分の短編映画『Madre』(原題)のその先を描いています。
息子を失った女性・エレナが10年の時を経て、どのような人生を歩んでいくのか、美しい海辺の景色と波の音とともに静かに描かれていきます。
映画『おもかげ』の作品情報
【日本公開】
2020年(スペイン・フランス映画)
【監督・脚本】
ロドリゴ・ソロゴイェン
【共同脚本】
イサベル・ペーニャ
【キャスト】
マルタ・ニエト、ジュール・ポリエ、アレックス・ブレンデミュール、アンヌ・コンシニ、フレデリック・ピエロ
【作品概要】
ロドリゴ・ソロゴイェン監督が2017年に製作した15分の短編映画『Madre』(原題)は、第91回アカデミー賞®短編実写映画賞にノミネートされ、世界各国の映画祭に出品。50以上もの映画賞を受賞し、世界の映画人を驚かせました。
『Madre』の〈その先〉を描いた本作は、2019年のヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門に選出され、女優賞を受賞しました。撮影はアレックス・デ・パブロが手掛け、大西洋に面する美しい海辺を、寡黙かつ雄弁に切り取って、その波音の効果と共に、登場人物の心情を繊細に大胆に見せています。キャストには、息子を失って以来止まった時を生きてきた母エレナを、マルタ・ニエトが、エレナの息子の面影をまとう少年ジャンをジュール・ポリエが演じています。
映画『おもかげ』のあらすじ
エレナは離婚した元夫と旅行中の6歳の息子から「パパが戻ってこない」という電話を受けます。
ひと気のないフランスの海辺から掛かってきた電話が、息子の声を聞いた最後でした。
10年後、エレナはその海辺のレストランで働いており、ある日、息子の面影を宿したフランス人の少年ジャンと出会います。
エレナを慕うジャンは彼女の元を頻繁に訪れるようになりますが、そんな2人の関係は、周囲に混乱と戸惑いをもたらしていきました。
暗闇から光へ、死から生へ、罪悪感から赦しへ、そして恐怖から愛へと少しずつ歩み始める、一人の女性の再生の物語です。
映画『おもかげ』の感想と評価
マルタ・ニエトの迫力ある演技にくぎ付け
シングルマザーのエレナは、6歳の息子が元夫と旅行中なので、久しぶりに一人暮らしを満喫していました。
実母と出掛けるため、ウキウキしながら支度をしているところに、息子・イバンから「パパが戻ってこない」という切羽詰まった電話がかかってきます。
最初はちょっと迷子になった程度だろうと思っていたエレナですが、ひと気のない海辺にいる息子の緊急事態を知り、次第に表情が変わっていきます。
パニックになっていくエレナを演じるマルタ・ニエトの迫真の演技はものすごい迫力があり、同時に息子の怯えた声を聞いていると、まるで見ている自分の身に起きているのではないかというリアルな感覚にとらわれます。
本作の冒頭15分は、2017年にロドリゴ・ソロゴイェン監督が撮影した短編映画『Madre』ですが、ラストに息子を探しに飛び出していくエレナを不安そうに見つめる母親が映し出されます。
その表情が、エレナのこのあとの人生を暗示しているように思えます。
10年後、息子がいなくなった海岸のレストランで働くエレナは、生気のない日々を過ごしていました。
エレナを理解してくれる優しい恋人・ヨセバはいるのですが、息子を失った悲しみをどのようにしても埋められず、仕事をして海岸を散歩する単調な毎日でした。
しかし息子の面影がある、フランス人の少年・ジャンに出会うことで、エレナが変わっていきます。
物語でエレナは39歳という設定なのですが、ジャンに出会う前のエレナはもっと上の年齢に見えます。ところがジャンと出会い、ジャンがエレナを慕うようになってから、エレナはどんどん美しくなっていきます。
それはおしゃれになるといった外的な要因ではなく、表情に光がさすようになるのです。それと同時に、エレナが持つ激しい一面も浮き彫りになり、エレナに生気が戻っていきます。
ジャンのことになると、恋人の助言も振り切って突っ走ってしまうエレナを演じるマルタ・ニエトは、物語の前半と後半で、全く違う表情を魅せ、私たちをスクリーンにくぎ付けにするのです。
海の景色と波の音が物語を盛り上げる
緊迫した冒頭15分のシーンが終わると、波の音をバックに、長い海岸線が続く美しいビーチが映し出されます。
美しい海の景色に、前半15分で感じた緊張感を癒してもらっていると、突然カメラが一人の女性に勢いよく寄っていきます。
その人こそが10年後のエレナで、「エレナのその後を撮るのだ」という本作の使命が、このカメラワークに出ていると感じました。
舞台となるのは、フランスの海辺の町、ヴュー=ブコー=レ=バン。美しい町ですが、物語の前半では、曇天に荒々しい波が打ち寄せる景色が頻繁に映し出されます。
それは心が晴れることはなく、常に荒々しい波が打ち寄せているエレナの心の中を象徴しているよう。打ち寄せる波を見ていると飲み込まれそうになり、少し背筋が寒くなります。
10年前、エレナの息子はこの場所に一人取り残され助けを求めていたのかと思うと、とても切ない気持ちになってしまいます。
しかし物語の後半では、荒々しい波ではあるものの、明るい陽が射す晴れ渡った美しい空が映されるようになります。エレナの心境の変化を、映像で上手く表現しています。
そしてエレナとジャンが語り合うシーンでは、2人の間にある微妙な空気を埋めるために、波の音が効果的に使われています。
この作品は、美しい海の景色と波の音といった、自然がなせる技を登場人物の心の動きに上手くマッチさせているのです。
エレナの歩みを見守る物語
短編映画『Madre』のその先を描くからには、なぜ息子が失踪をしたのか、そうしたミステリーの部分が明らかになっていく作品なのでは…と考える人も多いと思います。
しかし本作は、そうしたミステリーを解決していく物語ではなく、失意の底にいたエレナがどのようにして人生を再出発させるのか、ひたすら見守っていく話となっています。
息子・イバンがいなくなった海辺で、10年にわたり働き続けるエレナは確かに孤独で寂しい女性です。しかしエレナを愛し、心から心配してくれる恋人がいますし、仕事上でも雇われ店長とはいえ、店の仲間から頼られる存在になっています。
息子を失うという大きな不幸にみまわれましたが、決して何もかも失った女性ではないのです。
それはジャンと出会う前であっても、10年という時の流れの中で、エレナは心の中に闇を抱えながらも少しずつ前に進んできたことが分かります。もちろんジャンの登場が、その歩みを加速させたということに間違いはありません。
こうして絶望の淵から一歩前に進んだと思ったら二歩後退するなど、必死でもがいているエレナの姿を見守りながら、彼女の気持ちが痛いほど分かったり、逆に「どうしてそういう行動をとるのかなあ…」と理解できなかったり、人間心理の複雑さを目の当たりにします。
人間というのは、強い生き物なのか弱い生き物なのかどちらだろう。本作は、こうした疑問がふつふつとわいてくる物語なのかもしれません。
まとめ
ジャンとの出会いでエレナは本来の自分を取り戻していきますが、その過程は決して平坦なものではありませんでした。
ジャンの両親は、エレナを慕うジャンに対して複雑な思いを抱きます。親子ほど歳が離れている女性にどのような感情を抱いているのか、親として心配になるのは当然なのかもしれません。
ジャンの母親・レアは、そうした不安な気持ちを何かにぶつけるかのように、エレナが働く店を訪ねて氷のように冷たく、そして女性として一番言われたくない言葉を放ちます。
このシーンは胸をえぐられるようなつらい気持ちになる人も多いことでしょう。
しかしそれぞれの立場で考えてみると、レアがとった行動に共感する人も多いはず。
つまりこの作品は、置かれている立場や心の状態によって、いろいろな解釈ができるのです。
最初に見た時と少し時間を置いて見た時と、もしかしたら作品に抱く思いが変わるかもしれません。とても不思議な気持ちにさせる、面白い作品なのです。
映画『おもかげ』は2020年10月23日(金)からシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかで全国ロードショー。