ささいな原因で二人の男がもめたことが、国を揺るがす法廷闘争に!
8月31日より、TOHOシネマズシャンテ他で封切られ、その後全国順次公開予定のレバノン映画『判決、ふたつの希望』をご紹介いたします。
映画『判決、ふたつの希望』の作品情報
【公開】
2018年(レバノン・フランス合作映画)
【原題】
THE INSULT (L’insulte)
【監督】
ジアド・ドゥエイリ
【キャスト】
アデル・マラム、カメル・エル=バシャ、リタ・ハーエク、カミール・サラーメ、ディヤマン・アブー・アッブード、クリスティーン・シュウェイリー
【作品概要】
レバノン出身のジアド・ドゥエイリ監督が、自身の体験に基づいて描いた問題作。キリスト教徒であるレバノン人男性がパレスチナ難民の男性に浴びせた言葉がきっかけで起こった暴力沙汰が、裁判として争われることになる。
男性たちがそれぞれに抱く想いを超え、裁判は分断された社会の代理戦争のような騒ぎになっていく。
第90回アカデミー賞でレバノン映画として初めて外国語映画賞にノミネートされ、第74回ベネチア国際映画祭でカエル・エル・バシャが最優秀男優賞を受賞するなど国際的に高く評価された傑作社会派エンターティンメント。
映画『判決、ふたつの希望』のあらすじとネタバレ
レバノンの首都ベイルート。レバノン人男性トニーは、キリスト教マロン派の右派政党である「レバノン軍団」の党大会に参加し、熱心に耳を傾けていました。
帰宅した彼を迎えたのは身重の妻シリーンでした。彼女は、ベイルートではなく、もっと静かな場所に引っ越したいと話し始めます。ダムールに行きたいという彼女にトニーは「ここがいい」と主張し、声を荒げました。
違法建設の補修工事の現場監督であるパレスチナ人のヤーセル・サラーメは、トニーの家に新しい排水管を取り付けますが、ベランダに出てきたトニーは排水管を叩き割ってしまいます。
その前にも二人の間で一悶着あったこともあり、ヤーセルはトニーに向かって「このクズ野郎!」と怒鳴りました。
かねてからパレスチナ人に反感を持っていたトニーは、ヤーセルがパレスチナ人だとわかってあのような行動をとったのですが、彼の言葉が許せません。
補修工事を請け負う建築会社の社長に謝罪を要求し、謝罪しなければ告訴すると息巻きます。
社長は謝罪するようヤーセルを説得して、トニーの仕事場であるガレージに連れていきますが、トニーは敵意むき出しで、ヤーセルに対して「おまえらはみんなシャロンに抹殺されていればよかったんだ!」と叫びました(注:アリエル・シャロンは1982年のレバノン侵攻を指揮した当時のイスラエル国防相。)。
パレスチナ人にとって最大の侮辱の言葉を浴びせられ、激怒した彼は思わずトニーを殴りつけ、助骨を2本折る怪我を負わせてしまいます。
父親からは「もとはお前の言葉からだ」と窘められ、シリーンからも非難されながらも、怒りのおさまらないトニーはヤーセルを告訴に踏み切ります。
裁判が始まりました。ヤーセルはトニーへの暴行は素直に認めましたが、トニーから投げつけられた言葉については黙秘しました。裁判長は証拠不十分のため公訴棄却を言い渡します。
ある日、トニーは無理な仕事をしたために気絶してしまい、夫を探しに来たシリーンは倒れている彼を運ぼうとして、急に産気づいてしまいます。
病院で帝王切開を受けますが、赤ちゃんは生死を彷徨っていました。
トニーはこれも全てヤーセルのせいだ、彼に謝罪させたいという一心で弁護士ワジュディー・ワハビーに話を持ちかけます。
一方、パレスチナ難民キャンプに暮らすヤーセルと妻のマナールのところに、若い女性弁護士ナディーンが訪れ、これはヘイトクライムだと主張して弁護を買って出ました。
控訴審の初公判が始まりました。ワジュディーとナディーンは始めから激しく対立。裁判長の言葉から、彼らが父と娘であることがわかり、法廷中が驚きに包まれました。
暴行の前にトニーがヤーセルに投げかけた言葉が明らかになると、法廷内外で、それぞれに肩入れをする者同士が対立し、騒然となります。
テレビやマスコミは連日、この裁判を報道。当人たちの本当の気持ちなどおかまいなしに、国を揺るがす騒乱となっていくのです。
映画『判決、ふたつの希望』の感想と評価
二人の男がささいなことで衝突し、謝罪を求めた裁判が、いつしか二人の気持ちを超えたところで、まるで代理戦争のように国家を二分していきます。
レバノン映画を観るのは今回が初めてで、また、レバノンにおけるパレスチナ問題なども正直、ほとんど知らなかったのですが、本作を見て、その根の深さといいますか、歴史上起こった数々の痛ましい出来事の深刻な様に震撼する思いでした。
なんとか共存しようと人々が手探りで暮らしていても、ちょっとした事柄が憎悪を誘発してしまう。日常的に憎悪を煽り立てる集団も存在する。そんな状況で二人の男を巡る裁判はどのような判決を迎えるのか?
ジアド・ドゥエイリ監督は事件の発端からパレスチナ難民の男とレバノン人の男の心理を丁寧に描写し、分断された社会の実情を緊迫感溢れた映像で表現しています。
ドゥエイリ監督は20歳でアメリカに渡り、『レザボア・ドッグス』(1992)、『パルプ・フィクション』(1994)などタランティーノ監督のもとで、カメラアシスタントを務めるなどの修行を積み、現在はレバノンに戻り活動しています。
ダイナミックに、スリリングに物語を語っていく手法にタランティーノの影響があるのは間違いないでしょう。
原題は『THE INSULT』といい、「侮辱」という意味ですが、邦題には「2つの希望」とあります。それは一体何を指しているのでしょうか?
一つは「司法の冷静さ」です。法を扱う人々が、世論に流されず、正しい判断をすること。ここが崩れたらその社会は成り立たなくなり、無法社会になってしまうでしょう。
そうしてもう一つは個人の触れ合いです。パレスチナ人、レバノン人としての代表として歴史を背負わされる形になる二人ですが、一人の人間として触れあえば、決して分かりあえないものではないという事実を映画は提示し、感動的です。
逆に言うと、一人一人は決して悪い人でもなんでもないのに、国家であったり、組織であったり、何かのコミュニティの単位となってしまうと、理解しあえなくなってしまうという現実があるわけですが…。
それにしても映画を観るということは貴重な体験なのだと本作を観て改めて感じました。
映画を観ることで何か大きな問題を解決することは確かに難しいでしょう。私たちは非力です。
しかし、知らないことを知るということはとても重要なことで、まず知ることから始まるのだと思うのです。映画は様々なことを私たちに伝達してくれます。
本作は社会派エンターティンメントとしてお見事としかいいようのない大傑作となっていますので、是非多くの方に観てもらいたいと思います。
まとめ
トニーの妻は、裁判の中で、かつて二度妊娠したが、流産になったというプライバシーを公表されてしまいます。本人にとって辛い事柄を公衆の面前にさらされることがどれほど苦痛なことか、想像に難くありません。
冷静で夫をたしなめる立場であった彼女が、これをきっかけに被告側に敵意をむき出しにするのではないかと危惧したのですが、彼女は冷静さを失わず、夫をささえながらも決して相手に憎悪を送ることはありませんでした。
落ち着いた態度で正しい判断ができるこのキャラクターにしみじみと心打たれました。
また、あまり主題としては浮かび上がってきませんが、親子対決する弁護士に関しても、おそらく、娘は、拝金主義、勝利至上主義に走る父親への反発が根底にあったのだと思います。
ドゥエイリ監督はこうした女性たちの姿に未来への可能性を託しているのです。
これもまた一つの「希望」の姿なのでしょう。