普及の名作『ライ麦畑でつかまえて』の著者J・D・サリンジャーの知られざる半生と、名作誕生にまつわる真実の物語!
ニコラス・ホルトがJ・D・サリンジャーを演じた『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』をご紹介します。
CONTENTS
映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』の作品情報
【公開】
2019年(アメリカ映画)
【原題】
Rebel in the Rye
【原作】
『サリンジャー 生涯91年の真実』(晶文社/ケネス・スラウェンスキー著)
【監督】
ダニー・ストロング
【キャスト】
ニコラス・ホルト、ケビン・スペイシー、ゾーイ・ドウィッチ、サラ・ポールソン、ビクター・ガーバー、ホープ・デイビス、ルーシー・ボイントン、
【作品概要】
アメリカの作家J・D・サリンジャーの半生を描いた伝記ドラマ。サリンジャーにニコラス・ホルトが扮し、小説家志望の若き時代から、『ライ麦畑でつかまえて』で世界的名声を得た後、世の中から姿を隠していく40歳代後半までを演じました。
原作はサリンジャーの死後発表されたケネス・スラウェンスキーによる伝記『サリンジャー 生涯91年の真実』(晶文社)。
映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』のあらすじとネタバレ
1939年ニューヨーク。
20歳のジェローム・デイヴィッド・サリンジャーは、大学に入学しては退学を繰り返していました。
父は家業の食品輸入業を手伝うように言いますが、彼にその気はありません。彼は小説を書きたいと考えていました。
ジャズバンドの演奏が響くセレブ御用達のナイトクラブ、ストーク・クラブでサリンジャーは劇作家のユージン・オニールの娘、ウーナ・オニールに出逢い一目惚れします。
彼女に近づくと、ブライスとキャロルという娘が彼女をドラッグと男から守るため両隣に陣取っていました。
自分が作家だと名乗ると、「出版されてる?」とウーナは尋ねました。著作がなければ一流の書き手とは認めてもらえないからです。
サリンジャーは本を書いて出版したいとコロンビア大学創作文芸コースに入学します。
父はどうせまた退学するだろう、と反対しましたが、息子には才能があると確信している母が父を説得してくれました。
彼はそこで、文芸誌「ストーリー」の編集長でもあるウィット・バーネット教授に出逢います。
最初は斜めに構えていたサリンジャーでしたが、次第にバーネット教授の教えに耳を傾けるようになります。
彼が初めて提出した「若者たち」という短編をバーネットは評価してくれましたが、「ストーリー」の掲載までには至りませんでした。
「作家にとって最も大切なものは“声”だが、二番目に大事なことは“不採用”に耐えることだ。そして次を書け!」
書いても書いても不採用の通知が届くサリンジャーにバーネットは、たとえ見返りがなくても、生涯をかけて物語を語る意思はあるかと問いかけます。
サリンジャーはさらに小説にのめり込んでいきました。
ある日、バーネットが「若者たち」を「ストーリー」誌に掲載したことを告げます。「気に入っていたが、君が本気かどうか見極めていた」と彼は言いました。
原稿料25ドルを手にし、サリンジャーの小説家としてのキャリアがスタートしました。
ウーナとは恋人同士となり、社交界に入り浸るサリンジャーですが、作家としては短編小説を出版社に持ち込むものの、なかなか採用されません。
そんな中、ホールデン・コールフィールドを主人公にした短編「マディソン街の反抗」が権威ある「ニューヨーカー」誌に掲載されることが、出版エージェントのドロシー・オールディングからもたらされました。
ただし、二箇所の訂正が必要だといいます。「従わなかったら? 嘘のない物語を書きたいんだ」とサリンジャーは言いました。
バーネットからは、まるごと一冊使う価値ある長編の物語を書けと言われていました。
そんな矢先、真珠湾攻撃が勃発し、アメリカは戦争に突入します。内容が戦時下には軽薄という理由で「ニューヨーカー」掲載は延期になりました。
翌1942年、サリンジャーは陸軍に入隊。バーネットは「ホールデンについて書け。彼の親友になれ。死ぬんじゃないぞ、何があっても!」と励まします。
防諜部員としてヨーロッパに派兵されたサリンジャーは空き時間を見つけては執筆を続けました。
ところが、ウーナがチャーリー・チャップリンと結婚というニュースが飛び込んできて、彼は激しいショックを受けます。
彼の所属部隊はついに前線に送られることとなりました。書くことだけが彼の心の支えとなっていきます。
ノルマンディー上陸作戦やその後の戦闘は恐ろしく過酷なものでした。目の前で仲間たちが次々に亡くなり、極寒の中、氷ってしまった仲間の遺体を掘り出す作業は絶望的なものでした。
彼はドイツ降伏後もドイツにとどまり、ナチスの捜索などに従事。神経を病み、ドイツの病院に入院します。
1946年。アメリカに帰国したサリンジャーは家族にドイツで結婚した妻を紹介します(後に離婚)。彼はすぐにドイツに戻るつもりでした。今回戻ってきたのはこれまで発表した短編を集めて出版するためでした。彼はそれをバーネットに委ねました。
延期になっていた「マディソン街の反抗」がついに「ニューヨーカー」に掲載されます。しかし、選書の話はうまくいかず、バーネットと絶交状態になってしまいました。
映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』の感想と評価
長編『ライ麦畑でつかまえて』で知られるアメリカの小説家J・D・サリンジャーの半生を描いた伝記映画です。
若い頃は、セレブ御用達のナイトクラブに友人と共に出入りし、素敵な女の子に声をかける普通の青年だったサリンジャーが、小説家を志し、書くことに全身全霊を注ぐようになり、やがて社会との関わりを嫌い隠遁生活に入っていくまでが描かれています。
1951年に発表された小説『ライ麦畑でつかまえて』は、どうしても社会に適応できない少年の苦しみを描き、多くの人の心を捉え、現在でも世界中で読まれ続けている稀有な作品ですが、その作品がどのようにして生まれてきたのかを映画は丁寧に綴っています。
サリンジャーは生涯、戦争によるPTSDに苦しみ、書くことでしか浄化できず、最後には、社会との関係も切り捨てていきました。
『ライ麦畑でつかまえて』について、文学者の、ジョン・スイリーは、”銃弾が一発も発射されない戦争小説”と評していますが、映画を見ると、この批評が確かであることがわかります。
帰還兵たちは、戦争の記憶が脳裏から離れず社会復帰が出来ないのに世間はそれを理解してくれず苦しんでいました。『ライ麦畑につかまえて』を読んだ彼らが自分たちの姿がそこにあると思ったというのもうなずけます。
映画の中でも言及されるように主人公ホールデン・コールフィールドは、サリンジャーの分身であり、この伝記映画はもう一つの『ライ麦畑でつかまえて』だ! と言ってもいいでしょう。
サリンジャーを演じたニコラス・ホルトは、繊細で神経質な側面を持つ彼を知的にチャーミングに演じていて、好感が持てます。
また、サリンジャーの産みの親、ウィット・バーネット教授に扮したケビン・スペイシーはさすがの上手さです。
サリンジャーとバーネットは選書の発行のことで仲違いをしますが、サリンジャーは単に選書の話が流れたことが許せなかったわけではなかったのでしょう。
バーネットが出版社相手に最後まで粘り、尽力を尽くしたことに嘘はないでしょう。しかし、彼はそれを表現するのに「戦争した」「闘った」という表現を用いてしまいました。
戦争の痛みがどうしても消えないで苦しんでいるサリンジャーにとって、その言葉は許せないものだったのです。
なぜなら、彼らは言葉を扱う文学者であり、“言葉の強さ”については、彼自身がバーネットから学んだことだからです。
つまり、バーネットは言葉の選択を誤ってしまったのです。“言葉”に生きるもの同士だからこそのこだわりが生んだ確執といえるのではないでしょうか。
若々しく利発なニコラス・ホルトと人生の重みを背負い、少々くたびれたケビン・スペイシーの対象的な外観が相まって、二人の友情と確執が胸に迫ってきます。
また、出版エージェントのドロシー・オールディングに扮するサラ・ポールソンは、TVドラマシリーズ『アメリカン・クライム・ストーリー/O・J・シンプソン事件』の女性検察官役など、スペシャリルトを演じさせると右にでるものはない女優です。
今回も出版という男性社会で奮闘し、サリンジャーを深く理解する重要な役柄で存在感を見せています。
まとめ
『ライ麦畑でつかまえて』には熱狂的なファンがつき、サリンジャーに一目あって自分の気持ちを伝えたいという人々が多数現れました。
そうした人たちから逃げるように、サリンジャーは、人里離れた場所に引っ越し、誰も近づけないようにします。
2018年に日本でも封切られた『ライ麦畑で出会ったら』(2015/ジェームズ・サドウィズ監督)は、『ライ麦畑でつかまえて』に感銘を受けた孤独な高校生(アレックス・ウルフ)が、主人公です。
彼はこの作品を脚色して舞台化しようと考えます。脚本をサリンジャーに読んでもらおうとしますが、なかなか連絡がとれません。
彼は雑誌からサリンジャーの住まいの見当をつけ、実際にサリンジャーに会いに行きます。
本作『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』を観ていると、こういう読者は招かれざる客で、サリンジャーにとっては、脅威以外の何者でもないことがわかります。
ただ、『ライ麦畑で出会ったら』でクリス・クーパー扮するサリンジャーは、少年の脚本は読まないものの、彼を邪険には扱っていませんでした。
映画『ライ麦畑で出会ったら』は、ジェームズ・サドウィズ監督の実体験によるもので、サリンジャーに会ってからのエピソードは99%実話とのことです。
毎回、このように接していたのかどうかは定かではありません。しかし、サリンジャーという人はどこまでも真摯な人だったに違いありません。それ故に生き辛くもあったのでしょう。
2019年はJ・D・サリンジャーの生誕100周年にあたります。これを機会に映画に本に、たっぷり触れてみてはいかがでしょうか。