アメリカで再編集、逆輸入された『怪獣王ゴジラ』
日本を代表する映画シリーズであり、今や世界的な映画スターとなったゴジラ。
1954年に日本で初登場した『ゴジラ』は同年公開の『七人の侍』に並んで日本を代表する名作映画となりました。
しかし、日本固有の時代劇とは違い、怪獣映画という特殊なエンターテインメント作品である『ゴジラ』は海外輸出の際に、その国の観客層に配慮した再編集がなされていました。
アメリカでの公開に合わせてアメリカ人キャラクターが登場し、日本を破壊するゴジラの様子をナレーションします。
オリジナルの暗く政治的な作風が、分かり易いエンターテインメントへと改変され、アメリカのゴジラファンにキャラクターを定着させる決定的な作品になりました。
そんな再編集版である『怪獣王ゴジラ』こそが、海外のゴジラファンの間では原点と認識されていることも少なくありません。
今回は1954年に日本で公開された映画『ゴジラ』のアメリカ公開版である『怪獣王ゴジラ』をご紹介します。
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CONTENTS
映画『怪獣王ゴジラ』の作品情報
TM&(C)TOHO CO.,LTD.
【公開】
1957年(アメリカ映画)
【原作】
Godzilla king of monsters
【監督】
本多猪四郎、テリー・O・モールス
【キャスト】
レイモンド・バー、志村喬、河内桃子、宝田明、平田昭彦、堺佐千夫。村上冬樹、山本廉、ジェームズ・ホン、ポール・フリース、中島春雄
【作品概要】
1954年公開『ゴジラ』を、レイモンド・バー扮するアメリカ人記者が日本で遭遇した怪獣王ゴジラを回想する新規撮影カットを加えた再編集版。オリジナルより16分短い海外公開用作品です。アメリカで1956年に公開され、翌年1957年に日本逆輸入の形で公開されました。
映画『怪獣王ゴジラ』のあらすじとネタバレ
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かつては人口600万を擁した都市、東京は想像を絶する破壊に見舞われ、廃墟と化していました。
東京を破壊し尽くした未知の力はまだ滅びる事もなく、他の国々をも襲うかもしれない驚異となっていました。その姿を見た人も今はわずかしか生き残っていません。
アメリカの通信員、スティーブ・マーチンは赴任地のカイロに行く途中、友人である芹沢博士のいる東京を訪れ、そこでこの大惨事に遭遇しました。瓦礫に埋もれ身動きができない彼は病院へと運ばれます。
彼の運ばれた病院はケガ人で溢れかえっており、生き残った人々もまたいつ襲われるのかという恐怖におののいていました。
古生物学者、山根博士の娘恵美子はケガ人の手当てにあたっていました。スティーブは恵美子を呼び止め、彼女の父親の安否を尋ねます。
山根博士は今、保安庁と未知の力についての対策を検討しているところでした。
スティーブは日本に到着した数日前を回想します。
彼を乗せた飛行機が上空にいたころ、その3キロ下の小笠原諸島の近海では文明の土台を震撼させる事件が起きていました。貨物船「栄光丸」が救難信号を発信した後、閃光と炎と共に消息を絶ったのです。
空港に到着したスティーブは芹沢博士の代理人を名乗る男と共に海上保安庁へ連れていかれます。遭難した船に関して、通信員としての彼の意見を聞くためでした。
その後救難信号が発信された地点へ救助に向かった「備後丸」も同じように消息不明となり、真相は炎の海に飲み込まれてしまいました。
死者多数で日本中はパニックになり船会社には取り乱した家族が押し寄せていました。その後3名の生存者が発見されるも、彼らはショックと火傷によりすぐに死亡してしまいます。
相次ぐ遭難に対策を求める声が高まり、学者が招集され、日本の古生物学の権威である山根博士は、この事件を受けて保安庁との協力態勢を整えました。
その頃、大戸島の漁師がいかだで島に漂着し、船ごと大きな生き物にやられたと証言していました。
島には沖の方に怪物が住むという伝説があり、何世紀も前には怪物の怒りを鎮めるために毎年若い娘が生贄に捧げられていたといいます。
島での調査に同行していたスティーブは、その怪物の名「ゴジラ」を耳にします。島民は今回の遭難事件もゴジラによるものと信じていました。
その夜、暴風雨の中、重たい足音が島に響き渡りました。家屋が破壊され、スティーブ達の乗ってきたヘリも大破してしまいました。
翌朝、証言に立つため島民代表が東京を訪れました。国会の審問にて、島民全員が自然災害ではない、生き物の仕業だと証言する中、山根博士は島に学術調査に向かう提案をします。スティーブも調査船に同行し、再び島へ戻りました。
島での調査が進む中、山根博士は巨大生物の足跡らしきものの中から、古生代の節足動物トリㇿバイト(三葉虫)の化石を発掘します。
その時、島の鐘が鳴り、人々が丘に避難していく中、山の向こうから巨大な頭が出現。大きな咆哮に人々は悲鳴を上げました。
海へと続く足跡と尻尾を引きずった跡を見た山根博士は、それが海棲哺乳類が陸上生物に進化する過程で生まれた生物であると断定し、島の伝説にちなんだ名「ゴジラ」と名付けました。
そして、大昔に絶滅した生物が今になって出現したのは、度重なる水爆実験によるものと仮定します。
スティーブはアメリカにいる同僚に連絡を取り、日本はゴジラをソナーで捜索し、爆雷で駆除する計画を立てたことを伝えます。
その後、芹沢に電話をし、例の実験の進捗を尋ねます。
芹沢は恵美子と婚約予定でしたが、芹沢がそれを拒み、彼女は調査船員の尾形との間で揺れ動いていました。尾形とのことを芹沢に明かそうとする恵美子。芹沢は話を遮って自身が研究している兵器を彼女に見せました。
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映画『怪獣王ゴジラ』の感想と評価
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オリジナルからの変更点
追加撮影で登場する日本人役はアジア系アメリカ人が担当しました。レイモン・バー演じるスティーブと絡む日本人がたどたどしい日本語を話すのもその為で、日本人同士の会話の一部は英語に吹き替えられていることもあり、アメリカの観客からすれば違和感はなかったのかもしれません。
再編集に際してオリジナルから時系列がカットアップされており、ストレートなエンターテインメントとして観やすくなった印象です。
劇中で使用された印象的な楽曲(後に「怪獣大戦争のマーチ」としてリメイクされる)『フリーゲートマーチ』は、大戸島への調査船出航や芹沢の潜水シーンなどで勇ましく鳴り響きます。
アメリカ公開版の本作もこの曲を始めとした楽曲はそのままで、オリジナルの重い作品の中にもあったある種のポップさ、エンターテインメントらしさを担う側面を前面に引き出す効果がありました。
オリジナルを観てから本作を観て比較すると、やはりそのプロットの改変ぶりに驚かされます。
オリジナルの国会、海上保安庁、東京上陸、調査船のシーンにスティーブを付け加えることで、「実は彼もその場にいた」という後付けがなされており、彼によって都度なされる状況説明が、ゴジラ(と日本国民)に対してより客観的な印象を与え、物語の狂言回しが第三者であることによるメリットとなりました。
その上で特に省略されたのが恵美子、芹沢、尾形の物語。本作ではスティーブによるナレーションで大まかな三角関係説明がなされるだけで、後半の芹沢の苦悩のみがオリジナルと(ほぼ)同様に描かれる結果となりました。
オリジナルの登場人物だと、狂言回しがもたらす客観性のデメリットを一番被ったのは山根博士でしょう。
古生物学者としての役を全う彼の物語は不十分なものへと縮小されてしまいました。というのも、後半不自然にはみ出した「ゴジラを駆逐ではなく、貴重なサンプルとして捕獲したい」とこぼすシーン! エゴイストな学者としての自分を否定しきれない山根博士の心情の描きこみがオリジナルに比べて、セリフひとつの浅いカットになってしまいました。
また止まらない文明破壊への批判であり、続編を示唆するセリフでもあった、「もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかに現れてくるかもしれない」という山根博士の最後の一言もカットされています。
シリーズの一作目のみにあった悲壮感、重苦しさがキャラクター含めて損なわれてしまったことは否めません。
オリジナルに親しんだ日本の観客からすると本作は、エンターテインメント性を伸ばすうえで、原爆への批判的なメッセージはアメリカの観客に向けて、なるべくその匂いを消していると感じるかもしれません。
しかしオリジナルの『ゴジラ』(1954)も決して日本の反米感情に根差した作品ではありませんでした。
アメリカから観た水爆大怪獣
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タイトルにある“怪獣王”の名は本作以降ゴジラの通り名として定着し、二度目のハリウッドリメイクであるモンスターバース版においても2作目のサブタイトルになるほどの知名度を獲得しました。(『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019))
しかし、初代ゴジラのもともとの二つ名はキャッチコピーの通り“水爆大怪獣”でした。児童書や娯楽作品として80年代以降シリーズが発展していく中で、出自を表していたこの水爆大怪獣の二つ名は忘れ去られていったのです。
理由はいろいろと考えられますが、その一つに『ゴジラ』が一作で完結する物語であったことが関係しています。
つまり『ゴジラ』(1954)という単体作品のテーマ、及び登場する怪獣が表象するメッセージ性に沿ってこの二つ名が冠されていたのではないかと考えられます。
対して“怪獣王”の冠はゴジラが他怪獣と対決していく上でのキャラクター付け、怪獣プロレスというジャンルのエンターテインメント性を強めるために後天的に名付けられたものです。
本作において戦争、本土空襲、台風、大震災、南洋に没した英霊の怨念、文明破壊への復讐といった背景を色濃く反映させたテーマ性を削ぎ落としたのは、二足歩行で迫るゴジラの存在感、キャラクター性を強調するため、キングコングや原子怪獣リドサウルスと一線を画すアメリカでのキャラクター付けによるものでしょう。
アイデンティティの剥離において、怪獣映画の始祖であるキングコングも例外ではありません。
ラブロマンスや怪獣同士のプロレス、アクションを強調したリメイクが重なるうちに、オリジナルのキングコングが持っていたアイデンティティ(性欲のメタファー、半獣半神の存在、白人の抱く黒人恐怖症、信仰の対象、失楽園をなぞった物語など)は削ぎ落され、その背景は消臭されていきました。
本作によってゴジラも、キングコングとは違った意味でヒトならざるものに与えられたヒト的なキャラクターとしての個性が強調されていきました。
ストップモーションから着ぐるみへ
ゴジラは大きなトカゲではありません。
ゴジラのコンセプトは巨大なキノコ雲のような初期デザインや恐竜をモデルとした粘土原型から形作られていきました。
設定における初代ゴジラは「ジュラ紀から白亜紀に生息していた海棲爬虫類から、陸上哺乳類に進化する中間過程の生物が変異した姿」ですが、メタ的にいうと、この怪獣が必要としたのは生き物としてのリアリティではなく、人間が中に入ることで始めて完成する複雑なリアリズムでした。
これは結果論から語った浅ましい怪獣観のようですが、もともと製作の下敷きになった『キングコング』(1933)『原子怪獣現わる』(1953)に倣い、当初ゴジラも人形を手で動かして一コマずつ撮影するストップモーションが予定されていました。
しかし製作期間や予算、手間などを鑑みて、中に役者が入ってミニチュアのセットで撮影する着ぐるみ特撮へと変更されたという話は有名でしょう。
動物園で熊の手、象の足の動きを研究した中島春雄の演技は、ゴジラに不可欠な独創性をもたらし、ストップモーションに見慣れたアメリカの観客には、フレームレートの違いからくる軌道のズレを一切感じさせない滑らかな動きは驚異的なものでした。
エメリッヒ版ゴジラ(『Godzilla』(1999))が製作される以前にハリウッドで企画されていた幻のヤン・デ・ボン版ゴジラが、トカゲ人間っぽいのも日本の怪獣観に忠実であったからと考えられます。
その後の『Godzilla』(2014)も監督のギャレス・エドワーズが公言する通り、人間が中に入っているようなデザイン、他怪獣との格闘を想定したゴリラっぽい逞しさがあるのも人間味を感じさせることが怪獣らしさに繋がる理由の一つでしょう。
加えて前述した“複雑なリアリズム”とは日本のゴジラシリーズが海外作品以上に自覚的に固持しているものを指します。
作品は怪獣がまるで実在するかのようなリアリティを必要とする一方、怪獣が存在する世界の物語を通用させるフィクッションでなければならない矛盾と常に向き合っています。
『シン・ゴジラ』(2016)のキャッチコピー、現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)も、怪獣映画の複雑なリアリズムを指し示していました。
まとめ
TM&(C)TOHO CO.,LTD.
本作は現在公開が控えている『ゴジラvsコング』(2021)に至るハリウッド映画化の直接のきっかけとなった作品であり、西洋圏でゴジラというキャラクターを定着させた重要な作品です。
キングコングを元祖とする怪獣映画とは、ロマンス、アクション、ドラマとバラエティに富んだ原始的なエンターテイメントの総決算でした。
シリーズを重ねていくうちにテーマや社会問題を切り離されていき、キャラクターの拠り所は多岐にわたります。
しかしその作品の全てに、巨大な架空の生物が都市を破壊することで得られる原始的な衝動は手放されず残されています。
それは怪獣映画から切り離すことのできない絶対的な魅力であり、子どもも、大人の心も否定できない価値があります。
映像技術の進歩とともに怪獣映画、特撮映画も進化していきました。特撮の幅は広がりを見せ、今ではヒーロー特撮が怪獣を差し置いて主流となりました。
再び特撮映画の主体性がヒーローから怪獣に戻る時、時代は新しい映画の在り方、映像技術の飛躍を見せるのかも知れません。