連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第108回
目的を持ち他人の屋敷に侵入した、1人の反骨精神を持つグラフィックアーティスト。彼はそこで館の主である、社会的地位ある男の危険な秘密を目撃してしまいます。
見てはならぬものを見た結果、若きアーティストだけでなく彼の周囲の人々にも危険が迫るのでした。
イギリスでは限定先行公開された映画『アイ・ケイム・バイ』。極上のサスペンスであると同時に、現代に渦巻く格差と分断を題材にしたサイコな犯罪映画でもある作品を紹介します。
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CONTENTS
映画『アイ・ケイム・バイ』の作品情報
Netflix映画『アイ・ケイム・バイ』
【配信】
2022年(イギリス映画)
【原題】
I Came By
【監督・脚本】
ババク・アンバリ
【出演】
ジョージ・マッケイ、ケリー・マクドナルド、ヒュー・ボネビル、パーセル・アスコット
【作品概要】
富裕層の住居に侵入し、壁に落書きを残し格差社会に抗議するアーティスト。ある屋敷で思わぬ光景を目撃した結果、多くの人々の運命が狂い始めるミステリー・サスペンス。
監督は「未体験ゾーンの映画たち2019」で公開された、『アンダー・ザ・シャドウ 影の魔物』(2018)のババク・アンバリ。彼が自ら脚本を執筆した作品です。
出演はサム・メンデス監督作『1917 命をかけた伝令』(2019)のジョージ・マッケイ。共演は『T2トレインスポッティング』(2017)のケリー・マクドナルドに、Netflixドラマ『THE INNOCENTS/イノセンツ』(2018~)のパーセル・アスコット。
そして映画化もされたドラマ『ダウントン・アビー』(2010~)シリーズや『パディントン』(2015)、『パディントン2』(2017)で世界的に有名なヒュー・ボネビルが、悪役を演じたことでも話題の作品です。
映画『アイ・ケイム・バイ』のあらすじとネタバレ
Netflix映画『アイ・ケイム・バイ』
とある高級マンションの一室に忍び込んだトビー(ジョージ・マッケイ)と相棒のジェイ(パーセル・アスコット)。2人は部屋の中にスプレー缶で落書きをして脱出します。
警察が現れる前に2人は、貧しい者が暮らす荒廃した街に姿を消します。2人が侵入した部屋の壁には「I Came By(参上)」と描かれていました。
不法侵入した住居に作品を残すアーティスト「I Came By」の活動は、世間に広く報じられていました。ジェイは次に侵入する屋敷に剪定作業員として入り込み、Wi-Fiのパスワードを入手していました。
それはブレイク(ヒュー・ボネビル)という、貴族階級出身の元判事の屋敷でした。特権階級の偽善者であるブレイクの屋敷は、次のターゲットに相応しいと考えるトビー。
彼は自分たちは絵で社会と闘っている、と強く信じていました。しかし恋人のナズから妊娠を聞かされたジェイは、違法なアーティスト活動から手を引きたいと告白します。
学校で法律を学んでいるナズの話では、ブレイク元判事は移民や難民の子供のために尽力する慈善活動に熱心な人物でした。もう違法な活動から身を引くと告げたジェイですが、トビーには活動を止める事も、若くして子供を持つ事も裏切り行為にしか思えません。
トビーの母リジー(ケリー・マクドナルド)は、カウンセラーとして親の期待に応えられずストレスを抱える若者と向き合っていました。夜遅く帰宅した母を残し、トビーは今晩も街へと繰り出します。
トビーはブレイクの外出を確認すると、1人で彼の屋敷の敷地内に侵入します。パスワードを使用してネットに侵入し、セキュリディを無効化するトビー。
屋敷内への侵入し落書きを残そうとしたトビーは奇妙な物音に気付きます。そして外出して友人の警視ロイとスカッシュを楽しんでいたブレイクは、自宅のネットワークに不正アクセスがあったと気づきます。
トビーは物音がした地下室に隠し部屋があると気付き、その部屋の中を覗いて驚きます。ブレイクが戻って来ましたが、トビーは屋敷の外に逃れる事に成功しました。
ジェイの家を訪れたトビーは、自分が目撃したものを相棒に相談しようとします。しかし妊娠を告げた結果、家族から追い出された恋人ナズの身を案じるジェイは、もう関りは持ちたくないと協力を拒否します。
悩んだ末にトビーは警察に通報します。ブレイクの屋敷に入る警官たちの姿をトビーは不安げに見守ります。しかし何も見つけずにブレイクの屋敷を後にする警官たち。
苛立ったままトビーは帰宅し、母と激しく対立します。リジーから見ればトビーは何も成し遂げられない無責任な息子であり、トビーから見ればリジーは自立を認めず自分を束縛し続ける母親でした。
他の恵まれない子供は現実と格闘しているのに、お前は何とも闘っていないと叫ぶ母に、自分だって闘っていると言い残すとトビーは家を飛び出します。
ブレイクの屋敷の前に現れたトビーは、ブレイクの外出を確認すると中に侵入します。それは警察に通報した侵入者の存在を疑ったブレイクの罠でした。
地下の隠し部屋に監禁されていた若者を助け出すトビー。しかしブレイクが戻ってきました。身を隠したトビーはブレイクに襲い掛かろうとしますが、失敗してしまいます。
そしてトビーを殴ると、その後何かを細かくして焼き、それを灰にしてトイレに流し処分するブレイク…。
息子が戻ってこない事に心配したリジーは、警察に相談するとトビーの友人に連絡して回ります。かつてリジーに家族同様に面倒を見てもらったジェイは駆け付けますが、家にいた刑事のロイドから何か事情を知らないかと尋ねられます。
面倒に巻き込まれたくないジェイは、警察にもリジーにもトビーには数か月会っていないと説明します。しかしリジーは彼が何か知っているのでは、と疑っている様子でした。
考えた末にブレイクの屋敷の前に現れ、ポストから郵便物を盗んだジェイ。しかし現れた警官によって拘束されます。
警察で大麻の所持や前科を追求されますが、どうにか釈放されるジェイ。解放した際に警察は気付かずに、ブレイク宛ての郵便物をジェイに返しました。
リジーの家に現れたジェイは、トビーの秘密の隠し場所に警察に見られてはマズいものがあるかもと考えた、だからあの時は嘘をついたと釈明します。そしてその場所に先ほど入手した、ブレイク宛ての郵便物を忍び込ませたのです。
なぜ手紙があるのか理解できないリジーは。それをロイド刑事に渡しました。ロイド刑事はトビーのGPSの記録を追跡し、そして警察にブレイクの屋敷に監禁されている者がいる、との通報との関連を調べ始めます。
リジーもブレイクについて調べ始め、ロイド刑事も改めて屋敷の調査に現れます。しかし抵抗せず捜査に協力する姿勢を見せるブレイク元判事。
屋敷の中にも地下室にも、そしてあの隠し部屋にも何もありません。しかしロイド刑事は、隠し部屋に付けられた覗き穴が、中から外ではなく外から中を見る構造になっている事に気付きました。
その指摘に怒ったブレイクはロイド刑事を罵り、彼は公務執行妨害で逮捕されます。連行される元判事の姿をリジーが目撃していました…。
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映画『アイ・ケイム・バイ』の感想と評価
Netflix映画『アイ・ケイム・バイ』
ヒッチコック映画を思わせる巻き込まれ型、そして主人公反撃型のサスペンス映画の秀作です。ミステリーファンなら見逃せない作品ではないでしょうか。
大義はあるとはいえ、不法に他人の住居に侵入するという設定に「自業自得」だと感じる方がいるかもしれません。しかし犯罪者が、より重大で凶悪な犯罪に巻き込まれる映画は昔から多数あり、近年では続編も作られた『ドント・ブリーズ』(2016)がその例と言えるでしょう。
また単純な犯罪とは異なる、愉快犯的な設定で行われた不法侵入が物語のキーとなる、映画ファン注目のサスペンス映画には『フロッグ』(2019)があります。
ともかく、主人公が犯罪者である巻き込まれ型サスペンスが存在してもいいのです。本作には主人公の行為と主人公がターゲットにした男の間には大きな身分の差、罪をも隠蔽する格差が存在する設定が機能しているのですから。
この映画をご覧の方はお判りでしょう。本作は単なるヒッチコックスタイルの映画に終わらず、『ジョーカー』(2019)や『パラサイト 半地下の家族』(2019)のような格差社会を風刺した作品でもあるのです。
これはイラン・イラク戦争下のイランに生まれ、18~19歳頃に出国し、現在はイギリスで活躍するババク・アンバリ監督の経歴が反映された結果とも言えるでしょう。
意外な展開に込めた監督の狙い
Netflix映画『アイ・ケイム・バイ』
インタビューで本作のヒッチコック映画要素を指摘されたアンバリ監督は、それを認めつつも『プリズナナーズ』(2013)や『ナイトクローラー』(2014)、黒沢清監督の『クリーピー 偽りの隣人』(2016)など、自分の好きな映画の要素を取り入れたと語っています。
そしてこの映画は観客を裏切る映画です。誰もが主人公と思った人物が突然退場し、それの役割を引き継いだ人物も消え、最終的に本作以前には映画の主演実績を持たない、パーセル・アスコットが犯人と対決します。
監督は観客たちがこういった映画で、主役を演じる姿を見ていない人物をキャスティングしたかったと語りました。共同脚本のナムシ・カーンと共に、登場人物とその視点が次々移り変わる映画を作りたかった、と狙いを説明する監督。
自分が映画を作り始めた時からテーマの中心は、大きなものから小さなものまでの様々な組織や集団=政府機関や人種から、1つの家族や恋人たちといった集団までが、個人を失敗に至らしめる姿を描く事だと監督は振り返っています。
映画の本筋は犯人が逃げのびることが出来るのか、それとも捕まるのかをなぞる物語ですが、映画の様々な部分に人間の階級的な対立と価値観による分断が登場し、様々な社会的なメッセージを発していると気付くでしょう。
この映画のアイデアは自分が20代の時に思い付いたが、それから20年も経った現在でも同じような事が起きている、むしろ現在こそ本作を製作するのに相応しい時期だ、と監督は説明しています。
世界の多くの人々が、我々を支配する様々な制度に幻滅している。もし制度に失望しているなら、我々は個人同士で支え合うしかないと語る監督。
「もちろん『アイ・ケイム・バイ』は映画であり、物語に全ての答えがあり訳ではありませんが、本作を見た人々が様々な問題について会話するきっかけになる事を願っています」、監督はこのようにインタビューを締めくくっていました。
人々の間にある格差と分断を描いた映画
Netflix映画『アイ・ケイム・バイ』
本作は特権階級は罪を逃れる事すら可能で、彼らは貧しい者を搾取し生命まで奪うのだ、と格差社会を風刺的に描いたジャンル映画です。
しかしこの人々の間に横たわる分断は、階級や権力、人種などだけで生じません。監督が説明した通り、映画の中には様々な形の分断が登場します。
社会に抗議する手段の是非、家庭を作り子をもうける価値、親と子の関係や恋人との関係など、多様な対立構造が映画の中に登場します。
さらに監督の狙い通り映画の構造そのものが、観客が抱いた思い込みを様々な形で破壊します。あの『ダウントン・アビー』のクローリー卿、『パディントン』のブラウンさんことヒュー・ボネビルが、このような凶悪な人物を演じるとは…。
もっとも監督とヒュー・ボネビルはミーティングを重ね、楽しみながら共同で”ブレイク元判事”という悪魔的人物を創造したようです。
そしてジョージ・マッケイとケリー・マクドナルドの予期せぬ退場。映画に詳しい方ほど、これほど知名度のある俳優がこのように扱わるのか、と戸惑った事でしょう。俳優に詳しくない方も、予想されるストーリーの行方を裏切る展開に驚くはずです。
これらは対立構造を描いた訳ではありませんが、人間の帰属意識の元になる思い込みを、皮肉な形でストーリーに組み入れたものではないでしょうか。
本作の観客は世代など、様々な価値観を通して映画の登場人物を見つめるでしょう。そしてある者の態度に共感し、ある者の態度には反発を覚える、そんな感情が沸き起こるはずです。
最後に謎が解き明かされ、悪は打ち負かされ被害者が救済される…。本作はそんな心地良いミステリーではありません。
犯人が示された後も犠牲者は次々増え、主要人物は忽然と姿を消し、悪が倒されても失われた者は帰らない。映画の構造そのものがサスペンスであり、様々な問いを観客に投げかける。そんな体験が味わえる本作をお楽しみ下さい。
まとめ
Netflix映画『アイ・ケイム・バイ』
単純なミステリードラマに終わらない映画『アイ・ケイム・バイ』。『アンダー・ザ・シャドウ 影の魔物』でホラーいうジャンル映画に様々な視点を盛り込んだ、ババク・アンバリ監督らしい作品だと言えるでしょう。
このように紹介すると本作を意識の高い、難解な映画と受け取る方もいるでしょう。ご安心して下さい。思い込んで行動する登場人物たちの姿は時に滑稽であり、ブラックユーモアも漂いますから安心してご覧下さい。
ジョージ・マッケイ演じるトビーの正義感は年長者には、世間を知らず思慮の欠けた青臭いものに感じられるでしょう。将に新聞を読まずテレビのニュースを見ない、YouTubeなど配信動画だけで情報を得ている若者を代表する人物です。
そんな思慮の無い現代風の若者トビーこそ、貴族階級という既得権に守られたブレイク元判事の正体を最初に暴くのです。この行動する若者を描いた一例も、本作の現代社会を風刺した部分と言えるのではないでしょうか。
ちなみにトビーをYouTubeばかり見る、と非難する母親リジーは知的で良心的な人物ですが、テレビのリモコンが手放せない”テレビ世代”の俗物、といった一面を持っています。このように些細だが両者の間に確実に存在する”断絶”が、様々な形で登場するので注目して下さい。
一方ヒュー・ボネビル演じるブレイク元判事お気に入りの番組は、日本ではNetflix配信の難解な設定を持つブラックなSFアニメ『リック・アンド・モーティ』。この場面に笑ってしまいました。
実に悪魔的人物ながら、慈善家で革新派の顔を演じる知能犯の一面を持つブレイク元判事。彼なら年齢に似合わないが、絶対に気に入るであろうアニメだ、と妙に納得させられます。
人間というものは主義や信念だけではなく、映画やアニメなど趣味を通じても断絶・分断されるのかもしれません。ともかく良い趣味をお持ちのブレイク元判事を、好きになったのは私だけでしょうか。
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