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日原進太郎監督の映画『僕のいない学校』感想と考察。「教育者・今村昌平」を参考に映画教育をみる|映画道シカミミ見聞録23

  • Writer :
  • 森田悠介

連作コラム「映画道シカミミ見聞録」第23回

こんにちは、森田です。

年末から年明けにかけては、受験生およびその保護者にとっては勉強の追いこみ、進路の再確認に余念がないでしょう。

教育とはなにか、学校はなにをすべきかについて、第31回(2018年)東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門に選出された、映画『僕のいない学校』は一石を投じています。


©2018 TIFF

今回は映画を教える専門学校の教員の葛藤を描いた本作をもとに、「創造」と「教育」と「経営」の関係を考察し、それらの諸矛盾から生まれる映画制作の可能性を提示してみたいと思います。

【連載コラム】『映画道シカミミ見聞録』記事一覧はこちら

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映画『僕のいない学校』のあらすじ(日原進太郎監督 2018年)


(C)MONKEY ACROBAT STUDIO

舞台は「東京アートスクール」という専門学校。写真、音楽、メイクなど芸術・芸能系の学科を幅広く擁していますが、映画学科を受け持つ田原(嶺豪一)の顔はどうも冴えません。

上司の木藤(矢柴俊博)ならびに広報職員と軋轢があり、その隔たりは以下の姿勢により鮮明に浮かび上がります。

木藤の場合 学校と経営者の視点から


(C)MONKEY ACROBAT STUDIO

学部長に昇進した木藤は、退学を考えている学生に対しては“しかたない”、教室の使用許可を求める組に対しては“体験入学があるから使えない”、申請が少しでも遅れたスタッフには“機材は貸し出せない”と、終始つれない対応をします。

眼中にあるのは受験生と入学者で、彼の言葉でいえば「とりあえず入れちゃえ」「初回来校者をいかに獲得するか」が大事。

一方で学生に対しては、思うように撮影できなくても「学校には関係ない」の一点張りで通し、保護者へは「勉強できるかよりも就職できるか」をアピールの要とします。

自身もクリエイターである教員の田原はこの現状に業を煮やし、学科長になったのを契機に立て直しを図ってゆきます。

田原の場合 学生と教育者の視点から

自由に創作できないようでは、学生たちが腐ってしまう。また志願者にしても、本当にしたいことをじっくり考えさせなくてはならない。

こういった理想を胸に抱き、田原は柔軟性をもって機材と教室を管理し、個々人の学修状況に目を配り、必要に応じて相談に乗り、就活指導などもこなします。

木藤にとって入学願書は「数」でしかありませんが、田原は1枚1枚の「顔」をみて、その責任を実感しているのです。

実際、田原の熱意と密なコミュニケーションに応じるかのように、学生たちは活力を取り戻し、映画制作に打ちこむようになっていきました。

ただ、ある問題が発生します。受験者数がなかなか伸びない。これが次第に授業の質にも影を落としてゆきます。

どういうことかというと、木藤が学生を多く入れている学科に予算配分する方針を立てたために、映画学科に必要なお金が回ってこない、という状況が生まれてしまいました。

そうなると、新しい機材の購入ができないばかりか、その修繕や消耗品の補充もろくにできず、学生たちは撮影にあたり節約を強いられることになります。

極め付きは、卒業制作映画を映画館で上映する予算を奪われ、急遽中止に追いこまれたことで、ここに田原の苦悩は頂点に達します。

日原進太郎監督の“実体験”とメッセージ

じつは日原監督は現職教員であり、東京国際映画祭の舞台挨拶ではこのように語っています。

「映画はあくまでもフィクションですが、実体験をベースに描いています。映画というものは、リスクを冒して製作しないといけない時があります」(2018.10.29 舞台挨拶より)

またこちらは、共同企画と共同脚本を担当した鋤崎智哉氏の言葉です。

「この映画の1つの見どころとして、現職の職員が監督をして、当時在校生だった学生たちがスタッフもやっていますし、演じているっていうのがあるんですけれども、実は私も監督と一緒にその映画学科の職員をやっておりました」(同上)

なんと、実際の学生たちが本人役で演じていたとのこと。鋤崎氏は本作を「最後の授業」と位置づけ、撮影前に映画学科教員の職を離れたそうです。

まさに教育現場から身を賭して世に問うた映画で、日原監督はこう述べます。

「映画には、世の中や社会を変える力があると僕は信じています。近い将来、日本の教育機関に小さな光が宿ることを願っています」(同上)

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映画教育の原点 『教育者・今村昌平』より

『教育者・今村昌平』/キネマ旬報社、2010年

その「小さな光」をとらえるためにも、まず「光源」に目をむけてみます。

そもそも、映画の実作を学校で教えるようになったのは、いつなのか。そこにはどんな理念があったのか。

もともと映画の創り手は映画会社が育成するものでした。

それが不況を理由に製作部門を切り離し、新人採用をほとんど止めてしまったのです。

そこである1人の映画監督が立ち上がりました。カンヌ国際映画祭でパルムドールを2度受賞している鬼才、今村昌平監督(1926~2006)です。

今村監督は1975年、「既存のレールの上を走りたくない若者たち、常識の管理に甘んじたくない若者たちよ集まれ」と呼びかけ、「横浜放送映画専門学院(現 日本映画大学)」を設立しました。

映画教育の原点を確認すべく、以下、今村昌平著・佐藤忠男編著『教育者・今村昌平』(キネマ旬報社、2010年)を参考文献にとりあげます。

撮影所の代わりの機能

まず映画評論家の佐藤忠男氏は、今村監督が学校に託した思いを解説します。

「かつての撮影所に代わる映画界の人材育成機関が必要である。そう今村昌平は考えた。(…)撮影所で築き上げられてきた技術、知識、システム、なんのために映画を作るかという志、などなどの総体を伝承することはできないか。これまでの撮影所がやってきたそれらの教育的な機能をできるだけ全体として受け継ぐような学校を作ることは果たして可能だろうか」P35

その発想のもと「現場の映画人たちが教師として集まる学び舎」を開校。間違っても経営者ありきではありません。

撮影所の持っていた「教育的機能」を継ぐには、その総体を知っていなければ意味がない。だから、つねに映画づくりの現場と結びついた学校が必要だ、というところがスタート地点です。

創造と教育の関係

ビジネスが出発点ではないことはわかりました。むしろ、今村監督が当時の学生たちに与えた課題は、経済合理性の枠にはおさまらないものがありました。

その一例に、横浜時代からその後の日本映画学校にかけて実施された名物授業「農村実習」があります。

文字通り、学生を農村に送る実習なのですが、今村監督はその意図をこのように明かしています。

「農村に向う学生たちへ。――今、日本で百姓をやることはワリが合わない。――今、日本で映画監督をやることもワリが合わない」

「映画監督も百姓も、ゼロからものを創り出すのは同じでも“もの創り”は今や全くワリがワルイのである。ワリのワルイことをやりたい諸君に、ワリのワルイ百姓を是非やってみて欲しいと思うのだ」P80

ワリにあわない、ということを最初から学生の意識に植えつける今村監督。

『僕のいない学校』で木藤は、嘘とは言わないまでも受験生にある種の「効率性」をちらつかせて彼らの関心を引きますが、それに比べて「農村実習」のねらいは潔いですね。

ものを創るとは大変なことであり、ワリにあわない創造と、ワリを考えざるをえない経営の対立がある。この図式に立たないかぎり、木藤のようにどこかでほころびが出てしまうでしょう。

創造と経営の関係

一方で今村監督は「創造した結果を売って、食わなければならない」ことも強調します。

「では、売れやすいものを創ればいいかというと、そうでもない。自分の主張を曲げてまで、売れやすいものを創るくらいなら、初めから創らない方がいい」P95

これは横浜放送映画専門学院2期生入学式(1976)のスピーチです。別のところでは「ものを創るものは、『何のために生きるか』といったようなポリシーを、発見していかなければならない」と語っています。

ワリにあわないけれど、食わねばならない。でも、なんでもいいわけではなく、ポリシーが必要だ。

難しい作業ですが、今村監督はそこで「個の小宇宙を創りながら、全体への眼を開いていく」姿勢を説きます。

「だから、たぶん、これからものを創る上で、必要なことは、個の自覚でしかないでしょう。一人ひとり、個の世界を創っていかなくてはならない。個の責任で、一人ひとりの小宇宙を構築する以外にないと思う」P98

そして、この“困難”に立ち向かう若者に、改めてこう呼びかけるのです。

「私は常に、将来、狼になるような野良犬に出会いたいと思っている。できれば、考える狼に」

創造と才能の関係

映画の学校は「考える狼」たちが切磋琢磨する場所だとして、そこに才能は問われないのでしょうか。

『僕のいない学校』ではあまり前面には出されていませんでしたが、映画教育(あるいは経営)をめぐり避けては通れない点のひとつです。

今村監督は、脚本家で学院の授業も担当した長谷部慶次氏との対談で、ズバリこう答えています。

「才能などというものは、特別な誰かの体内にあるものではないんだよな、どうやら。誰にもあるようなものを、どうやって開発するかという問題でしかないんだ、どうやら」

才能が「誰にもあるようなもの」を「開発」するものであれば、そこに教育を介在させることができます。以下は1982年、別の講演から引いたものです。

「才能があるか無いか、そんなことは誰にも解りはしない。目標に向かって動き出す勇気があるか無いかだ。(…)人間は不定形の生き物で、どうも捉えどころがなくまことに摑まえ難いしろものである。だが、これを捉え、提示することの真の面白さを、いやそのほんの一端を、知ってもらうためにこの学院はあるのだ」P186

そうだとすると、教育現場の真の可能性は学生たちの「勇気」や「粘り強さ」に見いだされるかもしれません。

そのための実習、そのための積み重ね。学校側はどれだけの時間や再チャレンジの機会を与えられるかが鍵になります。

『僕のいない学校』においては、卒業制作上映会が“中止”になってからその様子を確認できます。

学校の基礎にあるもの


(C)MONKEY ACROBAT STUDIO

田原は木藤から一方的に告げられた中止の決定を、学生たちに言いだせずにいました。

なかには「映画館で自分の作品を上映できる」ことに魅力を感じ入学してきた学生もおり、そういった彼らの目標を思えばこそ、そこはどうしても守らなくてはならない一線にみえます。

必死で別の劇場を探す田原。しかし、直前に空いている小屋などやはりありません。

憔悴しきり、ノイローゼのようになってしまった彼は、校舎内で寝込んでしまいます。

そしてついに、打ち明けるのです。

「ごめん…ごめんなさい。すみませんでした。申し訳ない。ほんと申し訳ない」

表情をなくした学生たちの顔が映しだされます。

つぎの日、抜け殻と化した田原の目に飛び込んできたのは、学内で上映会を決行しようとする教え子たちの姿でした。

あれだけ映画館での上映を夢みていた彼らは、すぐに現実を受け止め、自暴自棄になることもなく、自分たちの力で別の方法を模索していました。

逆に気落ちする田原を労り、書きだした作品データを一緒に観てほしいと、依頼します。

この強さ、しつこさ、粘っこさ。これぞ映画教育を受けた成長の証でしょう。

真綿で首を絞められるように創作環境を奪われていったにもかかわらず、なぜ、ここまでたどり着けたのか。

それは「映画が好きだから」に他なりません。校舎の礎にあるのは、木藤の思惑や田原の情熱でもなく、学生の純然たるこの想いです。

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創造的な矛盾

おそらく、学生の眼差しが未来を照らしていることは、どの映画教育機関にも共通していえることでしょう。

偶然ですが、日本映画大学の2018年度の卒業制作映画『ハッピーサッド』で主演を務めたのも、嶺豪一さんでした。

学生たちにとっては、学校名もなにも関係なく、映画だけが学校のすべてです。

『僕のいない学校』でつくられた卒業制作映画には、ふたりの男が言い争うこのようなシーンがあります。

刃物を相手に突きつけた男が言います。

「あんた言ったよな。俺の言うとおりにすればいいって」

追いつめられた男は「過去は変わらん。なんの意味がある」と返します。

「俺が変えるのは未来だ。これから先、あんたに殺される人間を救うんだよ」

飛び散る血しぶき。これは言うまでもなく、田原と木藤の関係をなぞらえていますが、それを作品として昇華したのは他でもない学生たちです。

このたくましさが、本作の印象を決定づけています。要するに、周りの大人がどう立ち回ろうが、映画を創りつづけようとする学生にはかなわない。

ワリのあわない映画を教える教育者であることと、金勘定をする経営者であること。その矛盾にこそ、映画づくりの教育的な機会が潜んでいるのではないでしょうか。

矛盾から新しい創造が生まれることは、弁証法を持ちだすまでもなく経験的に知られており、学生が映画に立ち向かうかぎり、そこは「まさしく映画の学校だ」と言えるはずです。

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