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『貌斬りKAOKIRI』あらすじと考察【映画と舞台の混在メゾット】

  • Writer :
  • 合田あきら

『シャブ極道』『竜二Forever』の細野辰興監督10作目

プロデューサーとしても参加した細野が、日本映画史上最強のスキャンダルにインスピレーションを得て製作した極上骨太エンターテインメント!

ロードショー後も熱い支持を受け続け、2017年11月24日に「第1回 三鷹連雀映画祭」での上映が決定!!

1.映画『貌斬り KAOKIRI 戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より』の作品情報


(C)2015 Tatsuoki Hosono/Keiko Kusakabe/Tadahito Sugiyama/Office Keel

【公開】
2016年(日本映画)

【脚本・監督】
細野辰興

【キャスト】
草野康太、山田キヌヲ、和田光沙、金子鈴幸、向山智成、森谷勇太、森川千有、南久松真奈、日里麻美、嶋崎靖、佐藤みゆき、畑中葉子、木下ほうか

【作品概要】
『竜二Forever』で知られる細野辰興監督が、実際にあった俳優長谷川一夫の「顔切り事件」をモチーフに映画制作をする監督やスタッフ、また役者たちの人間模様を、実際の舞台と映画を混在させた意欲作。

2.映画『貌斬り KAOKIRI 戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より』のあらすじ


(C)2015 Tatsuoki Hosono/Keiko Kusakabe/Tadahito Sugiyama/Office Keel

長谷川一夫(林長二郎)顔斬り事件。
1937年、美男で評判だった林長二郎がスタジオから帰るところを二枚重ねのカミソリで頬を斬られ、日本中が騒然となった。日本映画史上最強のスキャンダラスな事件。

この襲撃事件をモチーフとした映画の脚本会議が始まった。監督、脚本家、プロデューサーはじめとするスタッフたちは喧喧諤諤。スポンサーが逃げそうだという電話が入り、助監督見習いが遅れて到着し、ウェイトレスは映画愛が充満し、七転八倒。

「なぜ長谷川一夫は顔を斬られなければならなかったのか?」

事件のリアルな仮説に至りたいという監督の思い。脚本会議は“スタニスラフスキー・メソッド”の場へと移っていく。果たして映画化は実現するのか……。

という舞台の公演が始まり、大入り満員の千秋楽を迎えた。開演間近の楽屋は混乱している。突如、助監督役の俳優が逃走、主演女優は降板したいと言い張りだす。騒ぎは収まらないまま舞台の幕があがった。

果たして舞台は「顔斬り」の謎を解き、幕を降ろすことができるのか。

3.映画『貌斬り KAOKIRI 戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より』の感想と評価


(C)2015 Tatsuoki Hosono/Keiko Kusakabe/Tadahito Sugiyama/Office Keel

「既設のレールを走りたくない若者たち、常識の管理に甘んじたくない若者よ集まれ!」

日本映画界の巨匠として名を刻む今村昌平はかつてそう呼びかけ、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を開学し、以後、その生涯を閉じるまで将来を担う映画人の育成に手を尽くしたが、本作品の監督である細野辰興もその下に集い薫陶を受けた一人であった。

同学園を卒業した細野は『大阪極道戦争 しのいだれ』(1994)や『竜二 Forever』(2002)等の骨太で濃厚な作風で知られるようになり、特に1996年に発表し一躍その名をとどろかせた『シャブ極道』においては改題をめぐり日本ビデオ倫理協会と争う事態にまで及んだ。

映画『貌斬り KAOKIRI~戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より~』(以降、映画『貌斬り』と表記する)を観るにあたり、まず細野の歩んできた道のりを振り返るのには意味があり、師である今村昌平から受け継いだ映画づくりにおける挑戦、またそこでぶつかる困難と葛藤、そして自由に映画が撮影できない時代への憤りが、本作のテーマとも重なり背景に潜んでいることを最初に記しておきたい。

そのうえで今回、細野が何に「挑戦」したのかを見てゆくことにしよう。
(なお細野が日々の活動や所感を綴っているYahoo!ブログのタイトルは『映画が、挑発するッ。』である。)

まず特筆すべき(つまりは観客を惑わす)“挑発”は、「“映画を撮る行為”と‟そこに映される物語”との境界に迫ること」、すなわち「① ‟映画”と映画の関係」を改めて問い直し、映画という装置が内包する虚構性ないしは構造性を明らかにすることにある。これは映画に眠る無意識を解き明かす分析と言ってもよい。

…もうすでに“挑発”にやられ混乱の域に踏み入れてしまった感があるが、順を追って解きほぐしていく。

これまで洋の東西を問わずに「映画の現場を映した映画」(=「映画」の映画)が数多く生み出されてきたが、本作もまずその1本に含まれると言えるだろう。つまり、ある企画を映画化するための脚本会議の場を一義的にはとらえている。(1)

しかしその脚本会議でのやりとりは、実は彼らが上演している演劇の一幕であった。(2)裏では助監督役の俳優が逃走し、主演女優は降板したいと言い張っているが、カメラはその舞台裏をも映し出し(3)、表舞台の進行と併せて一つのドラマを作り出している。(4)

ここで一つにまとめると、本作は「(4)[(3){(2)((1)顔斬り事件の映画化)を舞台にした演劇}に挑む演劇人たち]を映画化する」という、実に多重的な入れ子構造の “メタシネマ”の様相を呈しているとわかるはずだ。

なぜこのように複雑な形式になったのであろうか。それはもともと本作が2015年1月に行われた舞台『スタニスラフスキー探偵団』をベースにしているからである。劇中劇として挟まれている部分(2)はなんと上演中の映像であり、そこにカメラを持ち込んで撮影していたという状況だ。監督の細野は「カメラを黒子に持たせて舞台に上げるという発想が浮かんだ時、この映画が生まれた」という趣旨の発言を残している。

これが単なる「舞台の映像」にとどまらないのは、そもそもそういった映像は普通、舞台上ではなく客席の後方から狙うものであるし(それに類する「ゲキ×シネ」はあるが)、さらに重要なのは舞台内容が「映画化の会議(1)」であるという点で、比類なき複雑なメタ映画に仕上がる萌芽を秘めていた。それがうまく映画化できたことで、私たちは「新しい映像体験」と「映画に対する批判性」を得ることが可能となったのだ。

「① “映画”と映画の関係」への“挑発”に続き、「② 映画と演劇の関係」に挑んでいる要素も指摘したい。先ほどから何度か「スタニスラフスキー」という言葉が出てきたが、これはロシア革命の前後を通して活躍した俳優・演出家のコンスタンチン・スタニスラフスキーの名前であり、狭義には彼が発明したとされる俳優養成システム(メソッド)を指す。この「スタニスラフスキー・システム」は広く演技の世界に知れ渡ることとなり、劇中の台詞にもあるがマリリン・モンローやマーロン・ブランドらも教えを実践しようとしたという。(詳しくは氏の著書『俳優修業』やその他文献を参照されたい。)

いわゆる、役柄の内面に注目し、その感情を自己の体験から呼び起こし近づけてゆくことで、自然な演技に迫ろうとする方法である。

本作では「顔斬り」の犯人像を正確に捉えるべく、ある人物がある条件に置かれた時、本当に斬りかかろうとするかどうかを探る手段として用いられる。ユニークなことに、メソッドを逆手にとって「行動から内面が形成されるか」を試みるのだ。またこれが「スタニスラフスキー」に「探偵団」がかけられる所以である。

さてメソッドをこのように活用した場合、本作での俳優たちはどのように映ることになるだろうか。結論から述べると、観る方はそれが舞台の演技なのか映画の演技なのかわからなくなってくる。おそらく演じる方もそうだろう。この映画にはいくつかの次元があることを先に示したが、役者にとっては自分が(1)から(4)のどこに立っているのかが極めて曖昧になってくる。それはあたかも自らのトラウマに突き当たり、虚実の境界を見失ったマリリン・モンローのように。ここに、本作は映画と演劇の質的な越境を図ろうとしている姿勢がうかがえる

その結果として「③ 映画と観客の関係」が突き崩されてくるのだが、これを三つ目の“挑発”として挙げたい。最初に映画の枠組みが解体され、次に俳優の存在が揺るがされる。すると観客は「翻ってこの“世界”の枠組みは自明なものだろうか、そこで生きる“私”とはいったい何者であろうか?」という疑問が頭をもたげ始める。映画は映画を超越し、演劇性をも飛び越えた先には「スクリーンと現実の越境」が待っているわけだ。


(C)2015 Tatsuoki Hosono/Keiko Kusakabe/Tadahito Sugiyama/Office Keel

「役者やめますか? それとも人間やめますか?」

これは本作のキャッチコピーとして掲げられている文句だが、これまで見てきた三つの“挑発”の本質をものの見事に表していると言えるだろう。人は誰しもその場その場の“虚構”に応じた役割を演じている。それ自体は避けようのないことで否定もできない。しかし社会がますます混迷を極めてゆくなかで、自分にとって自然な感情を見失い、挙句の果てには「人間」という最も大事な役をやめざるをえないほどの麻痺状態に陥ってしまうこともある。(過労死などはその一例だろう。“社員”という役が徐々に人間性を侵してゆくのだから。)

まとめ


(C)2015 Tatsuoki Hosono/Keiko Kusakabe/Tadahito Sugiyama/Office Keel

“顔斬り”に成功した南千草(山田キヌヲ)は「あなたもこっち側に来る?」とスクリーン越しにささやき、私たちをそそのかす。直接的には「芸能の民」になることへの誘いと彼女自身の決意表明ではあるのだが、間接的には「あなたには、あなた自身の役を見つける自由がある」と勇気づけているようにも聞こえる。

この極上のエールこそ、監督の細野が現代社会に送ろうとしたメッセージの一つであるように私は感じられる。

映画『貌斬りKAOKIRI』の上映スケジュール

【日時①】
2017年11月15日(水)〜17日(金)

【上映館】
岡山シネマ・クレール
住所:岡山県岡山市北区丸の内1丁目5−1
TEL:086-231-0019

【日時②】
2017年11月24日(金)17:30〜 

【場所】
三鷹産業プラザ(第1回三鷹連雀映画祭11/23〜26)
住所:東京都三鷹市下連雀3丁目38−4
TEL:0422-40-9911
https://www.facebook.com/mitakarenjakuff/

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